戦力外通告2
先日「戦力外通告」(→こちら)で、東北ゴールデンイーグルスの選手7人が球団から通達を受けたことを伝えましたが、激しい秋の風は連日続いています。
もともと理不尽な分配ドラフトによって、生きの良い選手の多くはオリックスに捕られたこともあり「お年寄りチーム」だったため仕方がないことですが、大量解雇は今年、来年くらいまでは続くことになるんでしょうね。
飯田哲也選手
名門調布リトルで育ち、千葉県拓大紅陵高へ進学。キャッチャーとして1986年、3年生のとき春夏連続で甲子園の土を踏み、春の大会で1試合で3個の盗塁阻止をする強肩ぶりで注目を集める。その年のドラフト4位でヤクルトに入団。3年目には頭角を表しレギュラーの秦選手を脅かし22試合に出場するが、翌90年にドラフトで古田敦也選手(現在、兼任監督)が入団しキャッチャーの座は遠くなるが、この頃絶好調の野村監督のマジックによりセカンドへコンバートされレギュラーを確保、続いて強肩を買われセンターへ再びコンバート、日本を代表する選手に成長し定位置を確保した。91年から97年まで7年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、92年には盗塁王も獲得しているが、広島・野村謙二郎、緒方孝市、横浜・石井琢郎が走りまくっていた時代をともに過しているため意外にも盗塁王はこの1回しか取れていない。
飯田選手を語るうえで、よく出る話は東京ドームのフェンスよじ登り。あの高いフェンスを蹴ってホームランボールを追う姿は、本当に捕球が出来るんじゃないだろうかとワクワクさせてくれたもので「フレンドパーク」(→こちら)のウォールクラッシュは間違いなく飛んだ数すべてクリアーして関口支配人の顔を曇らせたことだろう。
そして何と言っても、末代まで語り継がれるだろう忘れられないプレーがある、93年10月27日神宮球場での西武との日本シリーズ第4戦。西武・石井丈投手、ヤクルト・川崎憲次郎投手の息を飲む投手戦、4回に池山の犠牲フライであげた1点を追う8回西武の攻撃、2アウト1・2塁、バッターの鈴木健が放った打球は飯田選手の前にポトリと落ちた、2塁ランナーは俊足の笘篠誠治、誰もが同点と思った時だった、打球に対して一直線で走りこみ捕球した飯田選手の送球は古田捕手のミットにストライクの返球!古田捕手のブロックも見事だったが、本塁手前でタッチアウト。歪んだ苫篠選手の顔が印象的なこのプレー、今でも収めてあるVTRを時々引っ張り出して見ています。日本シリーズには名プレーが生まれるケースが多いですが、こんなに長いあいだ語り継がれるプレーというのも珍しいと思います。
余談ですが、この日本シリーズは審判員のプロテクターが「アウトサイド・プロテクター」と呼ばれ、現在のタイプと違いユニホームの外側につけていたタイプを使用している最終年度にあたり、VTRを見るとそのことが時代を感じさせてもくれたりします。
飯田選手といえば、数々の野球でのビッグプレーとともに思い出されるのが、筋肉番付的番組でアピールされた身体能力の高さもあります。
95年正月の第一回プロスポーツマン大会で総合No.1に輝いたのを含め、総合No.1が2回、ビーチフラッグスNo.1が2回、モンスターボックス16段(当時のスポーツマン記録)、ショットガンタッチ13m30(世界歴代3位)という運動能力の高さを発揮していました。
まだ試合が残っていますが、現時点で現役18年間に1503試合出場、4559打数1248安打2割7分4厘とハイアベレージな記録を残しました。
今年の冬、近所のJT球場の自販機コーナーで小皇帝くんとお茶を飲んでいると、自主トレ前に飲み物を買いに立ち寄った飯田選手に遭遇、「飯田さんて、調布3中ですか?」「いや神代中学ですけど、おたくは?」「はぁ調布中なんです」「え!じゃぁ関川と一緒じゃないですか!へぇ~お幾つですか?」「46です」「わ!失礼しました。大先輩じゃないですか!仙台寒くないですか?」「すっかり慣れましたよ」「僕は慣れないな・・・」というような会話を交わしたことがあります。
2004年にご結婚され、今年は待望のご長男にも恵まれ「まだまだやらなきゃ!」って矢先の戦力外通告ですが、古巣ヤクルトでのコーチ就任が噂されています。慣れなかった仙台の冬におさらばして東京に戻り、是非とも古田監督を兼任のうちに胴上げしてください!「お疲れ様でした」
カツノリ(野村克則)選手
ご存知、知将・野村克也監督の息子で母はサッチー。一癖も二癖もある親にも関わらず、仲間たちからの信頼が厚く選手会副会長を務める。
堀越高~明治大と進み、大学2年のときには首位打者と打点王を獲得しベストナインにも選ばれている。堀越には岩隈投手、明治には一場投手と東北イーグルスの看板投手の先輩であることもチーム内では重要なポジションを担っていた。95年ドラフト3位で野村ヤクルトに入団、若松ヤクルトで1年過すが、翌年野村阪神に移籍、野村政権崩壊後も明大の先輩である星野仙一氏のもとで過すが、04年ジャイアンツへ移籍する。この移籍は当時、父・克也氏が監督を務めているシダックスにいた野間口投手を獲得するための布石とも言われていたが、それを裏付けるかのように野間口獲得を果すと1年で解雇。しかし巨人はブルペン捕手や二軍コーチの職を勧めたが、現役に拘りトライアウトに参加、田尾監督の目の前で非凡な長打力を披露し東北入りした。
二年目のシーズンから父・克也氏が指揮をとり1軍に定着するが、打率1割台、盗塁阻止率は1割を下回り「温かい」とされる東北のファンからも罵声を浴びさせられる毎日に辛い思いをしていた。
昨年オフに大量解雇された東北投手陣を就任が決まった克也氏に「おやじだったら再生できる投手が何人もいる」と進言、それに答えるかたちで一度は職を追われた小倉投手が復帰し、この1年重要なセットアッパーとして、また福盛投手が不振だった時期にはクローザーとして活躍した。
10年間に221試合に出場、352打数65安打、注目をされていた長打力も本塁打4本で東北では遂に1本も打つことが出来なかった。
「声だし」など野球に取り組む姿勢を球団は高く評価し、コーチ就任を要請している。監督の傍で後進の指導にあたることになるだろう。「名選手、名将にあらず」を逆にいく活躍が出来れば嬉しい。
永池恭男選手
福岡工大付高から91年ドラフト2位で横浜ベイスターズに入団。95年からは守備要因として1軍に定着するが、98年阿波野投手との交換トレードで巨人へ移籍、この時から3シーズン「永池們多(もんた)」として登録。03年には2対2の交換トレードの一人として大阪近鉄へ移籍、分配ドラフト前に自由契約になるが東北のテストに合格し再出発。
グラブ捌きには定評があり「守備の人」という印象があるが、福岡工大付高時代は甲子園出場こそないが通算20本塁打のスラッガーとして注目を集めた。
みずしな孝之氏の4コマ漫画『ササキ様に願いを』で、福岡出身の渋谷系というキャラクターで出演?している。
14年間の現役生活、349試合に出場、期待されたホームランは3本で終ったが、どこでも守れる器用な守備で魅了してくれた。
東北には「永池おじさん」と僕らが呼ぶ人がいて、試合中終始「代打・永池だ」「永池を出せ」「ここで永池だ」と戦況に関係なく叫んでるファンがいた。さぞかし淋しがっているだろう。
来年はコーチとしてチームに残る決断を固めている。
佐竹学選手
道産子で東海大四高~東海大から97年オリックスにドラフト4位で入団、分配で東北に来た。投手と捕手以外のポジションはこなせる選手だが、「ここは絶対に佐竹!」というポジションを攻守両面で築けなかった。野村監督就任で走塁面の向上というのが、新聞紙上で取り上げられるケースが多いがチームの中で真っ先にその積極的な走塁をしたのが、佐竹選手だった。4月13日の北海道日本ハム戦、7回裏二死満塁、二塁ランナーだった佐竹選手はリック選手の放った二塁への内野安打の間に本塁へ突入、東北が今季初の連勝に繋がる活躍を見せたのが印象深い。このほか4月1日のブログ(→こちら)に書いたことが、僕の思い入れです。
通算538試合に出場、チームは松本ヘッドコーチの退任に伴い、橋上守備走塁コーチがヘッドに昇格、その空いたポストへ佐竹選手の起用を考えているが、「本人は最終戦までに結論を出します」と態度を保留中。東海大四高の先輩で現在東京ヤクルトでコーチを務める、佐藤真一氏が30歳を過ぎてから才能を開花させ、40歳まで現役を続けたことが少なからず、現役への拘りとして頭を過ぎるのではないだろうか?と思う。
先の日ハム戦での好走塁で5月2日に「JA全農Go・Go賞」を受賞しているが、副賞のお米60kg.を「去年ケガをして迷惑をかけたので、トレーナーさんにプレゼントする」という人柄だ。
僕個人としては、まだ「お疲れ様」を言いたくない気分で、必ず来シーズンも佐竹選手が必要になる場面があると感じている。
東京ヤクルトも大リストラという噂を耳にした。
「寿命」があることはわかっているが、切ないことですね。
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20th Century Boy: Ultimate Coll (Dig) アーティスト:Marc Bolan,T Rex |
今日9月30日はマーク・ボランのお誕生日。1947年生まれなので、生きていれば来年還暦だったのだ。先日NHK-BSでT-REXのフィルムが流れていたが、音楽もファッションも21世紀の今、登場してきても衝撃があったのではないかと思えるものだと再認識させられた。21世紀のグラム待望。
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