阿佐ヶ谷団地
阿佐ヶ谷団地は、東京都杉並区成田東にあり、東京メトロ丸の内線の南阿佐ヶ谷駅から5分ほど歩いた場所、3~4階建て鉄筋コンクリート造の建物と2階建てのテラスハウスで構成された、総戸数350戸の分譲住宅。
駅から南に団地に向かって歩いてくると、車も通れない細い坂道を下る、すると団地の入口でシンボルのような給水塔が出迎えてくれる。
昭和33年(1958年)に竣工されたというのだから間もなく50歳を迎える。この給水塔はその50年近くの歳月をずっと見守ってくれていた筈だ。
僕は1964年頃から9年間、この団地の脇を流れる善福寺川を挟んだ反対側の成田西3丁目で暮らしていた。
父が病で逝き、母は幼い僕と一緒に生活をするために住み込みで仕事が出来る「寮母」という職業を選択し、その寮がその地にあったからだ。
大きな銀杏の木が立ち、長い5間くらいの廊下があった木造平屋のその家から、歩いて3分ほどの場所に杉並区立杉並第二小学校があり6年間そこへ通った。阿佐ヶ谷団地に住む子供達もその杉二小学校へ通っていた。
だから毎日、学校が終るとこの団地の公園に集まり、日が暮れるまで遊んでいた。
野球もサッカーも缶蹴りも・・・みんなココの団地で始めたことばかり。
元旦の日、高尾山にある父の墓参りをした帰り道に阿佐ヶ谷団地へ寄ってみた。
最近昭和30年代に建てられた団地が取り壊され、新しい建物に変っていくことが多いが、諸問題で遅れていたここ阿佐ヶ谷団地もこの春からいよいよ団地の取り壊し作業が始まるという記事を目にしたからだ。
今年85歳を迎える母に、この団地の姿をもう一度見せておきたかったし、奥様や小皇帝くんにも「僕はこんな場所で毎日遊んでいたんだよ」と伝えたかった。
そして何よりも、この団地の風景を僕の目蓋に焼き付けておきたかったからだ。
この公園では元旦の日に凧揚げをしたことが何度もある。そんなタイミングの良さもうってつけであった。 「阿佐ヶ谷団地」で検索をしてみると驚くほどのサイトに辿り着く、その多くは「ここは理想郷」とか「都会のオアシス」といった表現がされ、高度成長の日本が貧しくても明日を夢見て働いていた、家族の笑顔が集まる象徴のような住宅として語られている。
それはとても頷けることで、だって僕が暮らしていた30数年前とほとんど変らずに佇んでいる姿は、まるで昭和30年代にトリップしたかのような錯覚さえ覚えるのだから、当時を知らない人にもその“懐かしさ”は充分に伝わるものだろう。
団地の一角に公衆電話がある。電話ボックスの姿は現代のガラス張りで中の見通せるものに当然置き換わっているが、昔から場所は変っていない。
携帯電話の普及で店先から公衆電話が消える昨今なので、正直そこに電話ボックスが残っているとは期待していなかった。でもこの団地の電話ボックスは今も場所を変えずに佇んでいた。
僕らは子供の頃、ここの公衆電話で10円玉と5円玉と1円玉を用意するとタダで電話を掛けられるという遊びをしていた。
まだ10円で日本全国の何処へ何分電話をしても一律料金だった時代だと思う。だから何も必死になって電話料金を踏み倒さなくたって良かった時代だし、何よりその頃、僕らに電話をする用事なんてありはしなかった。
今と違った中が見えないボックスを隠れ家のようにして、「電話がタダで掛けられる」という、悪事を働くことが楽しかっただけのことだった。 団地から南阿佐ヶ谷駅へ向かう坂の登り口に絵画教室があった。
家の事情で幼稚園に通うことが出来なかった僕を母は、小学校の入学前にその絵画教室に通わせてくれた。
団地から少し歩いて教室のあった辺りも歩いてみた。
絵画教室は樹木に囲まれた素敵な洋風の建物だったと記憶している。教室はなくなっていたようだが、緑に囲まれた環境は今も時間が止まったように変っていなかった。
そこで一匹の猫に出会った。その猫はまるで「お帰り」と言ってくれているように僕の顔を眺めてくれていた。
「僕には故郷なんかない」そんな風に思って大人になった。
日々変化をしていく東京が大嫌いだった。
でも阿佐ヶ谷団地に来てみたら、僕の心の故郷は昔『成宗』と呼ばれていたこの一帯にあったのだなと思って涙が出てきた。
4歳の時に始めて踏んだ地を4歳になった小皇帝くんが我物顔で車で遊ぶ姿がとても嬉しかった。
団地の中を歩いていると木登りをしている子供がいて、お母さんから早く降りてくるように促されていた。
そんな光景がますます僕をノスタルジックな気分にさせたこともあるだろう。
僕らが団地をあとにしようとしたとき、別の一家が思い出を訪ねて団地の公園に来ていた。本当に沢山の人の思い出が埋まっている団地なんだ。
「同じ姿の阿佐ヶ谷団地には二度と会えない」そんな思いが同じような思い出を持つ人達を団地に向かわせている。
建て直される住宅は周りの住環境を無視した計画の部分もあり見直しを訴えている方々もいる。
この団地は、ここに住んで思い出を作った人達だけでなく、周辺で暮らした沢山の人達に思い出を残してくれている。
一部には大企業のマネーゲームの対象にされているという話も聞くが、僕個人としては、あまり大きく姿を変えず再開発後もこの団地特有のゆっくりした空気が流れてくれることを願っている。
桜が咲く頃、団地の取り壊しが始まっていなかったら、桜に飾られた最後の姿を見に行こう。
小学校の途中に広島へ越していった都築くん、小学校の終りに名古屋へ越した八木雅人くんと倉橋昌人くん、四国の方へ越した北山真澄さん、北山さんと一緒によく遊んだ吉田尚子さん、お父さんが太陽漁業に勤めていた石川くん、みんなで団地の桜を見てみたいものだ。
団地と善福寺川の間にあり、巨人の星やアタックNo.1などのセル画を拾いにいった「東京ムービー」は駐車場に姿をかえていた。
東京ムービーが残っていたら僕の足は帰路に向かわなかったかもしれない。
いつまでも心が大人になれない自分がある。
《阿佐ヶ谷団地関連サイト&記事》
・阿佐ヶ谷住宅日記
・阿佐ヶ谷住宅 ニューズ
・阿佐ヶ谷テラスハウスの出来事(その1)-故郷としてのテラスハウス
・ココカラハジマル「阿佐ヶ谷住宅」
・マエキタミヤコのSUSTENA日記「ゴールデンウィークは阿佐ヶ谷住宅へ」
※「阿佐ヶ谷住宅」というのが正確な名称のようですが、子供の頃から「阿佐ヶ谷団地」と呼んで親しんできましたので、敢て「団地」と表記しました。他意はございません。
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家族の肖像 アーティスト:谷川俊太郎+谷川賢作,谷川俊太郎 |
詩人・谷川俊太郎さんも阿佐ヶ谷団地周辺住人だ(った?)。そして息子さんであり、音楽家の賢作さんは僕と一緒に杉二小学校へ通っていた。何年生の時だろう?林間学校か何かで出掛けた部屋で一緒に写った写真がアルバムにある。近い世界で仕事をしているのに、小学校を出てから会ったことがない。何れ神様が引き会わせてくれるだろう。
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» 阿佐ヶ谷テラスハウスの出来事(その1)−故郷としてのテラスハウス [Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」]
■一人の男性が、空を見上げながらブランコに揺られています。そのむこうには、テラスハウスと呼ばれる形式の集合住宅がたっています。今回は、このテラスハウスについてのお話しです。まずは、イントロから…
■東京に出張してきました。所属している環境社会学会が池袋の立教大学で開催されたからです。今回(12月9日)の学会のシンポジウムは「実践者/専門家―市民調査の可能性と課題―」というものでした。内容的には、このブログでたびたびご紹介してきた「アースダイビング」とも多少関係しているのですが、まあ、それはそれと... [続きを読む]
受信: 2007年1月11日 (木) 14:34
コメント
はじめまして。拙ブログにコメントをいただき、ありがとうございました。自分のところのエントリーにも書きましたが、僕自身はこの阿佐ヶ谷テラスハウスに住んだことがありません。だけど、「ああ~」と思うものがあります。それから、「『僕には故郷なんかない』そんな風に思って大人になった。日々変化をしていく東京が大嫌いだった。でも阿佐ヶ谷団地に来てみたら、僕の心の故郷は昔『成宗』と呼ばれていたこの一帯にあったのだなと思って涙が出てきた。」という部分は特に、ジ~ンときました。すばらしいエントリーに出会えて、今日一日幸せな気持ちで過ごすことができそうです。知り合いに、この阿佐ヶ谷に住んでいた人がいますので、こちらのエントリーのことを伝えておきます。
投稿 わきた・けんいち | 2007年1月11日 (木) 14:26
わきたさん、わざわざのご訪問ありがとうございます。
僕の稚拙な文章にお褒めの言葉を有難うございます。
でも自分の文章で人の心を温めることが出来るって嬉しいですね。そして、わきたさんの記事も丁寧に綴られた記事で思わず紹介しないではいられないものでした。
それもこれも阿佐ヶ谷団地がつくってくれているのだなと益々感謝するばかりです。
「戯言」ばかりのブログですが、時々覗いてください。
コメントが反映されなかったのは、スパム対策によるものです。片方は隠しておきます。お手数おかけしました。
投稿 山品→わきた・けんいちさん | 2007年1月11日 (木) 15:11
わきたさんにおしえてもらいました。昭和50年ごろの何年かをこの団地に住んで杉二と東田中に通いました。
そうそう、そうそう、と大きく頷きながら文章を読みました。まるでかつてのクラスメートの話を聞くようです。
転勤族の娘だったわたしも出身地を聞かれるとどうも口ごもってしまうのですが、やはり、ここに私の故郷がちゃんとあり、もう会わなくなってしまった友達の心のなかにも阿佐ヶ谷団地での子供時代が大事に光っているのだろうと暖かい確信のようなものが湧いてきました。どうもありがとうございました。
投稿 raku | 2007年1月11日 (木) 17:39
rakuさん、はじめまして!
ご訪問ありがとうございます。
スパム対策でコメント公開を承認制にしているのですが、このココログってところはそのインフォメーションをしてくれない不届きなサイトでして、失礼しました。
>>かつてのクラスメートの話
確かにそうかもしれませんね。これだけの時間が経ったのに同じ空気を吸える空間を共有しているのですから年齢を飛び超えて同じ感覚でお話が進みそうですね。
今更ながら、この団地残すことは不可能なのか?って考えてしまいます。
全てのものが新しければ良いというものではないってことは誰でも知っていることなのに・・・。
イングランドの住宅は、築100年といったら新しいなんて話もあるのにね。
この国は世界に誇れる長寿国、人間の寿命が長い分、本来ならば物も住宅も長い寿命が欲しいですね。
rakuさんのアコーディオン聞いてみたいです。
時々覗かせていただきます。
投稿 山品→rakuさん | 2007年1月11日 (木) 18:08
山品@仙台 さん
こんばんは。
非常にノスタルジックな感慨がありますね。
私も東京生まれの東京育ちで故郷がないと感じてましたが、やはりそれも生まれ育った地域には愛着を感じることができるようになりました。
阿佐ヶ谷といえば、美味いラーメン屋さんも多いですね(笑)
ipodの件もさすが山品さんらしいご意見ですね。音質とともに、なんでもDLというのは恐ろしいです。
でも考えてみるとあながち笑っていられないですね。
投稿 「感動創造」 | 2007年1月11日 (木) 18:36
「感動創造」さん、いつもありがとうございます。
何ででしょうね?東京で生まれ育った我々は「故郷がない」って思っていますよね。
故郷って田んぼがあって、小川があって・・・なんて自然に囲まれていなければいけないみたいな・・・とも違うのですけども、上手に伝えられませんが。
でも年齢を重ねる毎に自分の育った町への思い入れって大きくなりますね。
息子がこの仙台を愛してくれられるように世の中が進むことを今は願っています。
投稿 山品→「感動創造」さん | 2007年1月11日 (木) 18:50
おばんです。
子供のころ生活した場所は大人になっても忘れられないものですね。思い出の建物や遊んだ場所などはいつまでも残っていて欲しいものです。
僕が育った父の会社の社宅はレンタルビデオ店になっていました。なんとなくですが子どものころの自分の存在が消された思いです。
投稿 はーとらんど | 2007年1月11日 (木) 18:52
はーとらんどさん、いつも有難うございます。
大人は「社宅住まい」なんて眉を顰めることが会話にあったりしますが、子供にとっては関係ないんですよね!「住めば都」の手前、それが全ての世界で、そこからいかに夢を描けるかがひとつの親の勤めなんでしょうね。
そんな社宅が別の施設になることは、そこで育った人にとって重大事件ですよね!
前の方へのコメントに記しましたが、日本は人間の寿命ばかり伸びて、それに他が伴わない社会が辛いですね。
本当は人間が長寿なことを喜ばなければいけないのに、少子化なんてネガティブな言葉で社会問題化することも考えなければと思っています。
投稿 山品→はーとらんどさん | 2007年1月11日 (木) 21:06
はじめまして。
トラックバック・コメントありがとうございました。ブログをスタートして3ヶ月、はじめてきちんとしたコメントをもらえ、とても嬉しかったです。
山品さんのブログを読ませていただき、自分が阿佐ヶ谷団地を見て感じた既視感が再現されたような気がしました。実際に住んでいたわけでもないのに。
プロフィールを拝見してわかったのですが、山品さんとはほぼ同年代で、たぶん同じ時代に育った空気感を山品さんのブログから感じのだと思います。
ちなみに私は仙台出身です。大学から東京なので、もう東京での暮らしのほうが長くなっていますが。
投稿 sk1160 | 2007年1月12日 (金) 00:05
sk1160さん、ご訪問&コメントありがとうございます。
不思議なものですよね。男女の関係なく、時々まるで兄弟や同級生と一緒に話をするように全く知らない人を感じてしまう瞬間があります。
男女間だとそんな価値観の一致が恋に発展することもあるでしょう。
同じ時代に生れ、学校も仕事も違うのに、こうした団地の空気を感じたものが一致することで人と人が出会えるって凄いですね。この出会い大事にしたいと思います。
また寄らせてください。
仙台、というか東北は例年になく雪が降りません。TVでは既に夏の水不足に繋がるのでは?という危惧した声も聞かれ始めました。
地球規模で気象がおかしいので東北の心配してても仕方がないですが、そんな感じです。
そして仙台の経済界・・・冷え切ってます。
都会との「格差」を感じる、この頃です。
投稿 山品→sk1160さん | 2007年1月12日 (金) 05:45
こんにちは。またまたおじゃまします。
>今更ながら、この団地残すことは不可能なのか?って考えてしまいます。
このあいだこの団地の一室がギャラリーになっているTOTANギャラリーでお聞きしたところでは、4月以降も少し存続しそうな感じでした。このギャラリーは私の住んでいた家と同じ作りなので、ひゅっと時間がワープします。旧東京ムービーのとなりです。
また、そのギャラリーの方が谷川さんたちは今も近くに住んでらっしゃると仰ってましたよ。
実は今日は母を連れて久しぶり(母は30年ぶり)に行ってこようと思っています。
投稿 iwaki | 2007年1月17日 (水) 08:38
iwakiさん、再度のコメント有難うございます。
TOTANギャラリーの存在はいろいろなサイトで目にしました。行く前に知っていれば訪ねたなと思っていましたが、お正月はお休みだったみたいですね。
TOTANギャラリーの写真を見ていると、昔訪ねた友人の家の様子を思い出します。
谷川家はまだありますか。嬉しいことです。
お母様の30年振りの訪問、たっぷり時間を掛けて団地とお話できること祈っています。
できたらブログで様子を教えてくださいね。住んでいた方の想いはまた違うものもあるでしょうから。
投稿 山品→iwakiさん | 2007年1月17日 (水) 12:27
こんにちは。
先日阿佐ヶ谷住宅にお散歩に行って、とてもステキだったので、
調べていたらここに辿り着きました。
山品さんのレビュー、切ない思いを抱きながら読みました。
私が今住んでいる団地も阿佐ヶ谷住宅と築年数が1歳しかかわりません。
そして、2年後に取り壊しが決まっています。
古いがゆえに不便なことも多い住戸ですが、
それゆえの愛着もあります。
残り少ない毎日を大切に生活したいと思います。
投稿 なっとうごはん | 2007年10月 1日 (月) 23:32
こんにちは。はじめまして。
阿佐ヶ谷団地で検索していたらこのサイトにたどりつきました。
文章と写真にジ~ンときてしまいました。
この団地には小学校3年のおわりまで住んでいました。
昭和30年代後半と40年代前半の思い出がここにあります。
引っ越してからもず~っとこの団地が懐かしくて懐かしくてしかたありませんでした。
中学あたりから「ノスタルジー」の自覚がありました。
昭和50年頃に「30年代ってイイよな~」と言っても誰もピンときてくれずオレって何かヘンなのかと。
最近になってそれは阿佐ヶ谷団地独特の万有引力ではないかと気づくようになりました。
今日このサイトで昔のトモダチのことを思い出してしまいました。
たしか川をはさんで杉2の方にあり、家にあがりこんで「おそ松くん」を読んだりしてましたが、
ある日「秘密基地を作ろう」とお宅の庭に穴を掘り始め、夕方帰ってからすっかり忘れていたら、
そのトモダチが穴掘りを続け、とうとう何かの配管が見えてしまうくらいになってしまったことを。
そのトモダチがお母さんにオコられたのではないかと心配したのはだいぶ大人になってからでした。
…人違いだったらごめんなさい。そのトモダチの苗字はヤマナシくんというように記憶しています。
投稿 momo | 2008年1月 8日 (火) 20:20
1963年から3年間阿佐ヶ谷団地に住んでました。HPでブログを書いてて、何気なく阿佐ヶ谷団地を検索しました。びっくりしました。写真の30号の4階が住まいでした。三井金属の社宅でした。父の逝去に伴い、実家の大牟田に戻りました。あれから、43年立ちました。東田中学、杉並高校へ進み、高校の1年の12月に引っ越しました。同級生に谷川君っていましたよ。まさか同一人ですかね。たしか、世田谷工業高校に進学されましたが、、、
投稿 北口 寛 | 2008年7月 4日 (金) 20:23