2007年3月26日 (月)

そろい踏み

サッカーに続き先週末には遂にプロ野球パ・リーグも開幕した。何だかんだ言ってはいてもやはり気になる地元チームの勝敗。
で、ベガルタは好調スタートを切り、先日も連勝と伝えたものの宿敵ヴェルディとは引き分けに終ってしまった。
その後、福岡では勝利を収めたものの昨日のホームゲームで草津相手にまたも引き分け・・・。
何ででしょう?
何故、ホームで勝てない!

なんて思っていても開幕から5戦負けなしっていうのは満足しなければいけないのだと気を落ち着かせていたりする。
で、首位を走っているヴェルディさんが今節お休みだったお陰で、なんと『首位』!
なんでも5年半ぶりのことらしく、記憶から消え去っていたところ。
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で、東北ゴールデンイーグルスはエース岩隈を開幕投手に指名するも「やっぱり!」の黒星スタート・・・。
ところが!ところがですよ。
栄養費を使いまくって強力戦力を誇るライオンズに2戦目は非常に気持ちの良い勝利を収めたわけですよ。
そうしたらどうでしょう!
イーグルスも首位ですよ!
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「まだ2試合だし、4チームが・・・」なんて言ってはいけません!
仙台のチームがふたつ首位に居るなんて、今後あるかどうかわからないのですから!

勿論、この2チームがシーズンを首位で揃って終了することは願っていますが、J2のほうはあるかもしれませんが・・・。
まぁ兎に角、2チームとも首位です!

さぁ、頑張れ89ERS!(今季5位確定)

ELO Classics ELO Classics

アーティスト:Electric Light Orchestra
販売元:Sony
発売日:1995/04/16
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3月26日、エレクトリック・ライト・オーケストラのキーボーディスト、リチャード・タンディの誕生日(1948年~)。ELOというとジェフ・リンとロイ・ウッド、もしくはベブ・ヴェバンばかりが取り上げられるけど、リチャードはオリジナル・メンバーなんです。忘れないでほしいです。ということで名曲を。

←ELOといえばレーザー?

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2006年10月27日 (金)

世界で一番!北海道

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「北海道の皆さんは、世界で一番で~す!」
WBC優勝国、世界一の野球界の頂点に北海道日本ハム・ファイターズが立った。
“駒沢の暴れん坊”が北海道に移転して、わずか3年での快挙。
44年振りの日本一だ。

前回の日本一は、東京オリンピックの年の1964年だが、この時も“移転”から3年目の年の出来事でした。
日本ハムの前身、東映フライヤーズや東急フライヤーズの本拠地は、東京・駒沢にあった駒沢球場という自前(東急電鉄所有)の球場を使用していました。
駒沢球場というのは、現在も駒沢のオリンピック公園に存在しますが、この球場とは別に現在の陸上競技場の付近にあった球場のことです。
この球場が、東京オリンピックに向けた公園整備のために取り壊されることになり、東映フライヤーズは1962年に本拠地を神宮球場に移しています。
1962年移転から3年目のシーズン、名将・水原茂監督のもとで東映フライヤーズは優勝を収めました。
「移転3年目」不思議なキーワードに感じてしまいました。

「シンジラレナ~イ」
ヒルマン監督が叫んだが、東京から意を決しての移転、本当に信じられない優勝だろう。
今では多くの球団が実施するアイディア、サービスの多くが、北海道に移転したファイターズ発祥のものが多い。
OBや北海道出身選手のコーチング・キャラバン、選手の学校訪問、練習施設の一般公開などをはじめ、フルキャスト宮城でお馴染みの「おばんですチケット」もファイターズの「730チケット」がオリジナル商品だ。
もともと昔からファイターズは、ファンを大事にしていた球団で、まだ巨人や中日にはファンクラブがない頃から、後楽園球場の外野席をファンクラブの小学生を招待するなど他球団のお手本となってきたが、北海道移転でその“才能”がさらに開花した感じだ。

日本ハム球団の営業担当者は、移転に際し当時212あった道内市町村を隈なく挨拶して廻ったと耳にしたことがある。
あの広い札幌ドームが満員になる営業努力、中継のカメラが大揺れになるファンの熱狂などなど“SHINJO効果”ばかりがクローズアップされているが、球団の方々の努力がアイディアやサービスとともに身を結んだものと見えてくる。
こんな営業努力は東京ドームを本拠地にしたままならば、首都圏の市区町村を何回廻っても、これほど報われなかったのではと思ってしまうのは、僕の偏見なのだろうか。

11月9日からは古巣・東京ドームで「KONAMI CUP アジアシリーズ2006」が始まる。
世界一の国のNo.1チームの力を中国、台湾、韓国のチームに見せつけて欲しい。

最後になってしまったが、
「新庄、どうもありがとう!」

Pictures at an Exhibition Pictures at an Exhibition

アーティスト:Lake & Palmer Emerson
販売元:Rhino
発売日:1996/05/21
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ロシアの作曲家ムソルグスキーの「禿げ山の一夜」の初演は、1886年の今日10月27日だそうだ。ムソルグスキーと言えば、思い浮かべるのがシンセサイザーの富田勲かELPことエマーソン、レイク&パーマーの「展覧会の絵」。1971年、海賊版が出回って急遽発売されることになったアルバムで、その辺りあまりメンバーは納得しての発表ではなかったらしいが、日本ではELPの人気を決定づけた1枚である。これはニュー・キャッスル・シティ・ホールでの録音だが、ライシアム・シアターで収録されたビデオ版というのもある。M-1のプロムナードがハモンドかパイプオルガンかの違いがあるなどライブ盤ならではの違いも興味深い。

←昨日の試合で稲葉選手がMVPを取ったのは納得なのだが、ダメ押しのホームランが出なかったら森本ひちょり選手にあげてもいいなと思っていた人もクリック!

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2006年10月17日 (火)

プロ野球選手の大リーグ挑戦に思う

昨日残っていたセ・リーグの試合が終わり、セ、パともにレギュラーシーズンが終った。
今週末から始まるチャンピオンズリーグへ興味が移ると同時に、本格的にストーブリーグに突入していく。
先日2回に渡って記事にした東北ゴールデンイーグルスの戦力外通告を受けた選手たちは、コーチ就任で既に新しいスタートをきった人もいるし、これから行なわれるトライアウト受験のために、既に去ることが決まったチームで受験に向けて汗を流す選手もいる。
更には10月13日付けで、ゴールデンイーグルスの初代東北産選手・根市寛貴選手が任意引退を申し出て、ユニホームを脱ぐというニュースも入った。

Iwamura そんな話題とともに、西武・松坂投手、東京ヤクルト・岩本選手、阪神・井川投手などの大リーグ移籍問題も本格的に動き始める。
大リーグ移籍に関しては、多かれ少なかれ誰のケースでも物議を醸し出す。
大リーグに日本人選手の有効性を証明し、現在の日本人選手の活躍の場を開拓した野茂投手の場合は、1995年、在籍した近鉄球団を「任意引退」という形で海を渡りました。
このあと前田勝宏選手などがこれに続きましたが、日本人選手の流出を危惧したNPB(日本野球機構)は、1998年に日米野球協定にポスティングシステムという制度を織り込むことにしたのです。

Daisuke このポスティングシステムを使い、松坂選手らは大リーグ移籍を希望していますが、さてこの先すんなり事は運ぶのでしょうか?
ポスティングシステムの問題点や、これからのプロ野球への思いなどを今日は少し。

まずはニュースなどで耳にする「ポスティング」という制度を考えてみます。
この制度を利用する場合、まずは選手の所属球団が「契約可能選手」として、日米コミッショナーを通じて告示されなければなりません。
2年前にも大揉めした阪神・井川選手の場合は、まずこの告知まで辿り着けずに球団とやりあっています。今オフも恐らく、告示する、しないというやりとりで揉める事は必至です。
この告示がされると、告示から4日以内に、その選手の獲得を希望する球団が金銭のみに基づいた「入札額」を提示します。 あくまでも金銭のみで、そのほかの選手の受け入れ態勢のことや、ドラフトなどで時々ある「○番の背番号を用意する」といった類の条件提示は一切ありません。
そしてこの金額は、移籍希望選手の獲得が決まった際に“移籍前の球団”に支払われる「移籍金」の額になります。最も高い入札額を提示した球団が「独占交渉権」を手にし、選手と30日間交渉する権利を与えられます。ここで契約に至った場合に、初めて「入札金」が移籍前の球団に支払われ、選手は新球団と選手契約を結ぶことが出来るのです。

Igawa つまり先に井川選手の例を出しましたが、 井川選手がポスティングでの移籍を希望することは自由です。阪神が井川選手を手放したくないので、手続きをしません。
仮に今回阪神球団が手続きを踏み、告示されたとしましょう。
これで井川選手は一番高い評価をくれた球団に晴れて移籍・・・とは、いかないのがこのシステムです。
阪神球団は米球団が入札した金額が、希望に沿わない場合には、これを拒否する権限をもっているのです。

選手は移籍先を選ぶことも出来ず、最も高い入札をした球団との交渉権しかない。しかも、米球界とはいえ、一人の選手のために告ぎ込める予算は決まっています。
高い入札金を払った場合、当然そのしわ寄せは選手の契約金や年俸にくるのです。
因みに入札金の全ては、選手を保有していた球団に入り、選手には一銭も入りません。

そして移籍が成立しない場合に再度ポスティングを行なうためには、1年間待たなければなりません。納得のいかない条件提示をした入札金1位の球団でプレーをするのか、元の鞘に収まるのか、選手には二者択一の選択しか残されないのです。

ポスティングシステムのほかに大リーグへ移籍する場合、もうひとつの正当法はFA(フリーエージェント)の行使です。
この制度、一般的にはFAを宣言→希望球団と交渉→成立となった場合は、もとの所属球団に人的補償か、その選手の前年の年俸額の120%を移籍先球団は元の球団に支払う金銭的補償をしなければなりません。
ところが、選手の移籍先が海外になった場合は、この補償を受けられないのです。
そこで大リーグ移籍を視野に入れているプレーヤーに対しては、球団はFA権取得ギリギリの段階、“売り時”な時を見越して選手にポスティングでの移籍をさせ、多額の移籍金を手に入れるのです。

ニュースを見ていると、大リーグに行きたがっている井川選手をポスティングしない阪神球団は意地悪に見えますが、阪神の牧田球団社長のように「毎年、200イニングを投げてくれる投手ですから、球団のスタンスは従来と変わらない。今年も、(挑戦させて欲しいと)言ってくるでしょうから、ゆっくり話し合いたい」と話してくれることは、本当は井川選手に対して凄く有難い話なのかもしれません。

一方、この井川選手の「ポスティングしてくれよー!」という要求を「何言っているんだ!散々球団に世話になっておいて、我儘だ。渇~ッ!」などと日曜日の朝から怒鳴っていて良いのでしょうか?
大リーグ移籍を目指す選手には、野球選手として最高峰のリーグでプレーをしたいという気持ちも勿論ですが、大リーグの野球環境、観客の野球観戦の姿勢など様々な要因が存在するのではないでしょうか?
僕が選手だったら、日本の観客の声援の大きさには喜ぶものの、その音頭を取っている人が、グラウンドに背を向けて大衆を鼓舞しているのを納得できるものとは思えません。
ひとりひとりが思い思いに声援を送った結果が、あのような盛大な応援になっているのなら喜ぶでしょうが、特効服着て白手袋したお兄さんやお姉さんの音頭では嬉しさ半減です。

そして移籍を希望する米球界には、魅力ある制度が存在することも、力のある有望な選手の移籍に拍車を掛けているのではないでしょうか?
それは『年金制度』です。

大リーグでは、選手本人の負担はなく、球団が掛け金を支払う形での年金制度が存在します。この年金、大リーグに1年以上在籍をすることで権利が生まれ、最高10年在籍まで在籍期間に応じての金額が45歳を過ぎた年から受け取ることが出来ます。
その額は10年在籍選手で年間$135,000也、約1千6百万円になりますが、健康保険と投資信託による上乗せという制度もあり、9年間の大リーグ在籍を果した長谷川滋利氏は先日の「ジャンクスポーツ」で、年間18,000,000円を受け取っていると言ってました。
これが1年の在籍だと10年在籍の1/10になります。

それに対して日本の年金制度はどうなっているのでしょう?
選手は一軍、二軍とも国民年金と、企業年金の一種「税制適格退職年金」に加入。監督と登録コーチも対象で、掛け金を10年間払うと55歳から受給できることになります。
選手生活を10年未満で引退する場合は退職一時金が支払われ、10年目以降は掛け金を1年余計に払うごとに給付額もアップしますが、15年目からは掛け金がなくなる代わりに、給付額も同じです。
選手の負担額は現役の期間に応じて年71,000円から12万円。給付は現役10年で年1,133,000円、15年以上だと年1,420,000円になります。
(この他、細かい制度の仕組みはありますが)

如何ですか?この違い。
力のある選手が1年でも早く大リーグへ移籍して、プレーをしたいと考えるのは、我儘なことでしょうか?
ジャンクスポーツのなかでの長谷川氏のコメントによると、先の金額は一生受け取れ、しかも毎年金額が上がっていて、死んだあとも奥さんには年金が支払われるという制度なのです。

Takano 2000年11月5日に大好きだった元ヤクルトのエース・高野光さんが自宅マンションのベランダから飛び降り、自らの命を絶ったことは覚えていますか?(→関連記事)原因は仕事がない不安、将来への不安と考えられています。
この事件を機に、元同僚でヤクルトのドラフト同期だった栗山英樹氏が引退選手の就職支援活動を行う動きはあるものの、日本の球界の現状は厳しいのが現実です。

こうした環境の違いを考えたとき、選手が自分の力を発揮できる瞬間を米球界でと考えることは、非難できることではないと考えますが、皆さん如何でしょう?
何の活躍も約束出来ない高校球児に1億円もの契約金を支払い、「世話になったくせに」と大リーグ移籍を止めることよりも、野球選手になるひとりひとりの将来を考えた制度も球界は考えるべきではないのでしょうか?
そうしないと日本の球界は、大リーグの下部組織化する一方で、何の魅力もないものになり、結果、野球ではなく「浴衣で来れば○○円で来場できます」とか「この3連戦はスゥイーツ特集」などの客寄せを続けなければならないものになって行ってしまうだろうと考えます。

実力ある選手が、実力を発揮し、その力を捻じ伏せようとする真剣勝負をいつも見たいから願うことであります。

1984 1984

アーティスト:Van Halen
販売元:Warner Bros.
発売日:2000/09/19
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高野光投手はルーキーイヤーの1984年、なんと開幕投手の栄誉を掴んでいる。これは62年の巨人軍エースのジョー以来の快挙だった。その84年、もっともヒットしたのはM.J氏の「ぞっとさせる物[人]」だったが、よくこのブログをご覧頂く方は想像できると思いますが、僕はM.Jが嫌いなので、それは取り上げません。このアルバムは「?」の人でも『JUMP』はご存知でしょ?!

←「大リーグに行った選手は、選手として日本球界に復帰できないようにすれば良い」というH本氏の主張には頷けないなって方クリック!

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2006年10月13日 (金)

稲葉篤紀

北海道日本ハム・ファイターズが今シーズンのパ・リーグを制した。
「シーズン1位」という勲章は既に手にしていたが、プレーオフを制し、1981年以来、25年ぶり3度目のパ・リーグの覇者となった。
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昨日の決戦、北海道日本ハム・八木投手と福岡ソフトバンク・斉藤和投手の息を飲む投手戦で進んだ。
9回裏、先頭打者の森本選手がストレートの四球を選んだ、続く田中賢選手が送ると、ホークス・ナインはマウンドに集まり小笠原選手の敬遠を確認、この試合初めて2塁にランナーを背負うことを選んだ、セギノール選手との勝負に出た。
セギノール・・・三振。
斉藤投手には、まだ充分に力があった。

続く稲葉選手はこのプレーオフ、ここまで7打席ノーヒットだった。前日杉内投手からあわやホームランという大ファールを放っているが、ことごとく打ち損じていた。
悪い感じではなかったのだと思う、バットの芯を捉えた打球は野手の正面を突いていた。
だから、センターへ抜けるという打球が仲沢選手のグローブに納まった瞬間、天を仰ぎそうになった。
しかし1塁ランナー小笠原選手は、思いっきり走っていた。2塁セーフ。
そして森本選手は、この間にホームを突いていた。

ホームイン!
グランドに飛び出してきたファイターズ・ナインと正反対に、マウンドに蹲る斉藤投手、倒れる的場捕手というのが印象的だった。
どちらが勝ってもおかしくない2試合だった。
素晴しい試合だった。

試合を決めるサヨナラ・ヒットを放ったのが、稲葉選手であったことがなにか意外な締めだったけど、稲葉選手が今まで真面目に野球に取り組んできたご褒美のようなサヨナラ・ゲームだった。

稲葉篤紀 選手(いなば あつのり)
Ainaba_1 1972年8月3日生れ、愛知県西春日井郡師勝町(現・北名古屋市)出身。
中京高校~法政大学から94年ドラフト3位でヤクルトに入団。
2004年オフ、メジャーリーグ入りを目指しFA宣言するがオファーがなくメジャー行きを断念、ヤクルトを退団し北海道日本ハムに移籍した。
1278試合に出場、4313打数1229安打、打率285、本塁打163本、打点566を記録している。

稲葉選手のエピソードで欠かせないのが、プロ入りの経緯だろう。
法政大学時代、当時ヤクルトの監督をしていた野村克也氏が神宮球場へ六大学野球の観戦に行く、明治大学に在籍する息子・カツノリの応援だ。
この法政vs明治の試合で、野村監督の心を奪ったのが、稲葉選手だったのである。それまでヤクルトからノーマークだった稲葉選手だったが、これを機会にプロ入りしたのである。

多くの解説者や野球ファンが、稲葉を最大評価の対象にするのが「全力疾走」だ。
彼は何時だって攻守交替のとき、自分のポジションまで全力疾走で行き、全力疾走で帰ってくる。
辛口で有名な解説者・達川光男氏が、以前オールスター・ゲームの解説をした時に、ゲストで来ていたアイドルに「今日せっかく見にきたのですから、稲葉を見て帰りなさい。彼が本当のプロ野球選手ですから」と言うほどの選手なのである。

95年、初めてプロの試合に出た広島戦、初打席はホームランだった。そして史上初めての初出場試合で猛打賞という活躍をした。
96年、打率3割を残し、97年のヤクルト日本一には、シリーズ優秀選手を獲得する活躍をする。
01年、自身最高の記録を残すシーズンとしベスト・ナインに選ばれ、ヤクルト日本一。
03年7月1日横浜戦では、5回雨天コールド試合でサイクル・ヒットを達成という史上最短サイクル・ヒットを記録など数々の記録、活躍をしてきた。

だが04年オフにメジャー行きを目指して宣言したFA。ヤクルトからは、FAをすれば帰ってこられないことを条件提示されていたが、挑戦。
しかし、待てど暮らせどオファーは来なかった。辛かったと思う。
この時、唯一興味を示し、「メジャーからの声がなかったら、うちにおいで」と言ってくれたのが北海道日本ハムだった。
北海道への移籍、しかし思うような成績が残せない日々が続いた。
ネットなどで「稲葉いらねぇー」という書き込みを何度も目にした。

「いらねぇー」ヒルマン監督も何度も浴びた言葉だろう。
でも今年、チームにとって必要不可欠な活躍。
「12球団一の外野陣」と評価される活躍。

良かった。本当に良かった。
稲葉選手おめでとう!
次は日本一の勲章を北海道に持って行ってくれ!

ところで今朝のTBS「朝ズバ!」で、司会のみのもんた氏が5回のズレータ選手の走塁を取り上げ、「あんなの守備妨害じゃないよ。あんなのメジャーではアウトにならない」と日本野球を馬鹿にした発言をして、一緒の出演者に同意を求め、それらの人達も頷いていたが、「馬鹿言ってんじゃないよ!」と言いたい。
審判が一度ズレータ選手をセーフとしてからのアピール・プレーで判定が覆ったことは問題があるかもしれないが、あのシーンVTRで見ても明らかにズレータ選手のスパイクは、ベースを目指しているのではなく、グラブにスパイクの歯を向かわせる悪質なファールだ。
この場合のルールを厳格に遂行した審判らを非難する姿勢は、不愉快以外の何物でもなかったことを付け加えておきます。

Solo Collection Solo Collection

アーティスト:Freddie Mercury
販売元:Parlophone
発売日:2000/12/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

稲葉選手=QUEENの図式は、これまでも数回取り上げてきた。今回は稲葉選手の登場曲『I Was Born to Love You』のオリジナル・ヴァージョンが聞ける一枚です。フレディはQUEENの活動のほかにソロで2枚のアルバムと数枚のシングルを残している、それを網羅したのが、この「Solo Collection」。QUEENデビュー前のレアな音も収録されています。

←お前は北海道日本ハムのこともだが、仙台育英高が東北大会で優勝したことを取り上げろよ!って方、クリック!

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2006年10月11日 (水)

ダルビッシュ有

プロ野球パ・リーグのプレーオフ第2ステージ第1戦、北海道日本ハムvs福岡ソフトバンク・ホークスの試合。北海道日本ハムはダルビッシュ有投手が先発のマウンドにあがった。
入団2年目、二十歳になったばかりの若武者が札幌ドームのマウンドで素晴しいピッチングを見せてくれた。

Daru ダルビッシュ有、本名ダルビッシュ・セファット・ファリード・有、1986年8月16日大阪府羽曳野市で元サッカー選手のイラン人の父と日本人の母のあいだに生まれた。
小学校2年のとき野球をはじめ、羽曳野ボーイズでの全国大会ベスト8、世界大会3位などの成績で鳴り物入りで宮城県仙台市の南光学園東北高校に入学した。
2003年春、2年生の時に甲子園初出場を果し、2年夏は同級生の真壁(東北福祉大)と投げ抜き、見事に準優勝を収める。3年春の熊本工業高校戦でのノーヒットノーランなど高校No.1ピッチャーの声を独り占めして、北海道日本ハムにドラフト1巡目の指名で入団する。
高校通算成績は67試合に登板し、投球回332回1/3、奪三振375、防御率1.10、甲子園通算成績は、11試合に登板し、投球回90回1/3、奪三振87、自責点15、防御率1.47。

入団後最初の沖縄キャンプ中に、パチンコ、喫煙という行為が写真誌を飾り、東北高校在学中ということで、停学処分を受け、卒業を遅らせるという武勇伝を持つ。
・・・まぁ僕がダルビッシュの紹介をしなくても数々のエピソードをご存知の方は多いでしょうから省略させてもらいます。

いやー!素晴しいピッチングだった。
あまりにも素晴しくて思わず急遽記事にしてしまいました。
初回立ち上がり、1番川崎、2番大村に連打を浴びて、3番柴原が送り、4番松中の犠牲フライというホークスにとっては理想的ともいえる無駄のない形で先制点を奪われ、なおもズレータ敬遠、本多にデッド・ボールと攻め立てられながらも最小失点で切り抜けた。

対するホークスの杉内投手、東北ゴールデンイーグルスが勝ったことないピッチャーだ。
でも気合入り過ぎ?何か違った、本調子ではない。
3回稲葉選手にあわやホームランという大ファールを浴びるが、本来の杉内なら左打者にあんな簡単にあそこまで運ばれないだろう。
そんな調子の悪さで、3回までで降板したが2失点で切り抜けているのは流石だった。
8回にホークス柳瀬が金子のタイムリーで追加点を奪われ、結果1-3で北海道日本ハムが1勝して、レギュラーシーズン1位のアドバンテージ1勝と合わせ王手を掛けた。

この試合、ダルビッシュの好投でTVを見入ってしまったが、北海道日本ハムの勝利を確信してしまったシーンがあった。
それはホークス1点を追う、5回の攻撃のシーン。
先頭の川崎選手がレフト前に運び、ノーアウトのランナーを出す。
ここで続く大村選手にホークスは、送りバントを命じた。
ここが今日の試合の勝敗の決め手。勝利の女神がファイターズに微笑むことを確信したシーンだった。

初回の失点シーンの再現の場面で、ホークスは特別な工夫もなく宗リンをスコアリング・ポジションに送ることだけを考えた。
決してバントという作戦が消極的なものとは思わないが、バッターは大村選手だ。
大振りが目立つときもあるとはいえ、今シーズン、パ・リーグで最多安打を打っているバッター、もっともダルビッシュが嫌がったシーンである筈なのに、送りバント。
ダルビッシュは2塁に向かう宗リンを見る事もなく、1塁にボールを送りひとつOUTをとることに集中した。
後続の柴原は気合の入った投球で三振、松中は彼の打ち損じにも助けられたが凡打。
バントは先に述べたように、決して消極的ではない。しかし、このシーン1点では勝ち越せないのだ、同点では駄目なんだ。

ホークスは3勝しなければ、日本シリーズに進めない、ファイターズは2勝で進める。
この立場の違いをチームが、逆転しようという気迫を見せられなかった試合に感じた。
相当の気合を入れなければ、明日の札幌でパ・リーグの覇者は決まると思う。
ダルビッシュもお立ち台で「明日は胴上げをします!明日も応援してください!」と宣言した。それは強がりではなく、確かな自信から沸いてでた言葉だと思う。

北海道日本ハムのパ・リーグ制覇に20,000IRR(イランリアル)って感じでしょうか!

ところで我家の小皇帝くん、生まれて初めて見た野球の試合でダルビッシュ投手はマウンドに立っていました。ダルくん高校2年生の夏の宮城県予選の仙台二高戦でした。
リリーフで立ったダルの球、二高のバッターは一人もフェアーグラウンドに打ち返せませんでした。圧巻です。
小皇帝くんにとっての年齢差でダルくんは、僕にとって同じ年齢差という考えで探してみると八木沢荘六さんとか、安仁屋宗八さんらになる。かなりオジサマなんだなw

そういえば、196cmの長身から繰り出される150km.の速球が印象的なダルビッシュですが、彼は技巧派であることを知るのは、その夏に甲子園に行ってからでした。

イモータル イモータル

アーティスト:ANTHEM
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2006/08/30
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もうどれくらいの時間、アンセムが日本のH/Mシーンを引っ張っているのだろう?北海道旭川市出身のリーダーの柴田直人氏は幼少の頃、星一徹のような父に野球のトレーニングを受けたという話を聞いたことがある。今頃、ファイターズの試合見て盛り上がっているのかな?北海道vs福岡でプレーオフが行なわれるなんて、少し前には誰も考えられなかった話だな。

←王監督の回復を願うと福岡に勝たせたい。新庄選手の花道に北海道に勝たせたい。そんな風にどちらを応援するか迷っている人もクリック!

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2006年9月30日 (土)

戦力外通告2

先日「戦力外通告」(→こちら)で、東北ゴールデンイーグルスの選手7人が球団から通達を受けたことを伝えましたが、激しい秋の風は連日続いています。
もともと理不尽な分配ドラフトによって、生きの良い選手の多くはオリックスに捕られたこともあり「お年寄りチーム」だったため仕方がないことですが、大量解雇は今年、来年くらいまでは続くことになるんでしょうね。

Iida 飯田哲也選手
名門調布リトルで育ち、千葉県拓大紅陵高へ進学。キャッチャーとして1986年、3年生のとき春夏連続で甲子園の土を踏み、春の大会で1試合で3個の盗塁阻止をする強肩ぶりで注目を集める。その年のドラフト4位でヤクルトに入団。3年目には頭角を表しレギュラーの秦選手を脅かし22試合に出場するが、翌90年にドラフトで古田敦也選手(現在、兼任監督)が入団しキャッチャーの座は遠くなるが、この頃絶好調の野村監督のマジックによりセカンドへコンバートされレギュラーを確保、続いて強肩を買われセンターへ再びコンバート、日本を代表する選手に成長し定位置を確保した。91年から97年まで7年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、92年には盗塁王も獲得しているが、広島・野村謙二郎、緒方孝市、横浜・石井琢郎が走りまくっていた時代をともに過しているため意外にも盗塁王はこの1回しか取れていない。
飯田選手を語るうえで、よく出る話は東京ドームのフェンスよじ登り。あの高いフェンスを蹴ってホームランボールを追う姿は、本当に捕球が出来るんじゃないだろうかとワクワクさせてくれたもので「フレンドパーク」(→こちら)のウォールクラッシュは間違いなく飛んだ数すべてクリアーして関口支配人の顔を曇らせたことだろう。
そして何と言っても、末代まで語り継がれるだろう忘れられないプレーがある、93年10月27日神宮球場での西武との日本シリーズ第4戦。西武・石井丈投手、ヤクルト・川崎憲次郎投手の息を飲む投手戦、4回に池山の犠牲フライであげた1点を追う8回西武の攻撃、2アウト1・2塁、バッターの鈴木健が放った打球は飯田選手の前にポトリと落ちた、2塁ランナーは俊足の笘篠誠治、誰もが同点と思った時だった、打球に対して一直線で走りこみ捕球した飯田選手の送球は古田捕手のミットにストライクの返球!古田捕手のブロックも見事だったが、本塁手前でタッチアウト。歪んだ苫篠選手の顔が印象的なこのプレー、今でも収めてあるVTRを時々引っ張り出して見ています。日本シリーズには名プレーが生まれるケースが多いですが、こんなに長いあいだ語り継がれるプレーというのも珍しいと思います。
余談ですが、この日本シリーズは審判員のプロテクターが「アウトサイド・プロテクター」と呼ばれ、現在のタイプと違いユニホームの外側につけていたタイプを使用している最終年度にあたり、VTRを見るとそのことが時代を感じさせてもくれたりします。

飯田選手といえば、数々の野球でのビッグプレーとともに思い出されるのが、筋肉番付的番組でアピールされた身体能力の高さもあります。
95年正月の第一回プロスポーツマン大会で総合No.1に輝いたのを含め、総合No.1が2回、ビーチフラッグスNo.1が2回、モンスターボックス16段(当時のスポーツマン記録)、ショットガンタッチ13m30(世界歴代3位)という運動能力の高さを発揮していました。

まだ試合が残っていますが、現時点で現役18年間に1503試合出場、4559打数1248安打2割7分4厘とハイアベレージな記録を残しました。
今年の冬、近所のJT球場の自販機コーナーで小皇帝くんとお茶を飲んでいると、自主トレ前に飲み物を買いに立ち寄った飯田選手に遭遇、「飯田さんて、調布3中ですか?」「いや神代中学ですけど、おたくは?」「はぁ調布中なんです」「え!じゃぁ関川と一緒じゃないですか!へぇ~お幾つですか?」「46です」「わ!失礼しました。大先輩じゃないですか!仙台寒くないですか?」「すっかり慣れましたよ」「僕は慣れないな・・・」というような会話を交わしたことがあります。
2004年にご結婚され、今年は待望のご長男にも恵まれ「まだまだやらなきゃ!」って矢先の戦力外通告ですが、古巣ヤクルトでのコーチ就任が噂されています。慣れなかった仙台の冬におさらばして東京に戻り、是非とも古田監督を兼任のうちに胴上げしてください!「お疲れ様でした」

Katsunori カツノリ(野村克則)選手
ご存知、知将・野村克也監督の息子で母はサッチー。一癖も二癖もある親にも関わらず、仲間たちからの信頼が厚く選手会副会長を務める。
堀越高~明治大と進み、大学2年のときには首位打者と打点王を獲得しベストナインにも選ばれている。堀越には岩隈投手、明治には一場投手と東北イーグルスの看板投手の先輩であることもチーム内では重要なポジションを担っていた。95年ドラフト3位で野村ヤクルトに入団、若松ヤクルトで1年過すが、翌年野村阪神に移籍、野村政権崩壊後も明大の先輩である星野仙一氏のもとで過すが、04年ジャイアンツへ移籍する。この移籍は当時、父・克也氏が監督を務めているシダックスにいた野間口投手を獲得するための布石とも言われていたが、それを裏付けるかのように野間口獲得を果すと1年で解雇。しかし巨人はブルペン捕手や二軍コーチの職を勧めたが、現役に拘りトライアウトに参加、田尾監督の目の前で非凡な長打力を披露し東北入りした。
二年目のシーズンから父・克也氏が指揮をとり1軍に定着するが、打率1割台、盗塁阻止率は1割を下回り「温かい」とされる東北のファンからも罵声を浴びさせられる毎日に辛い思いをしていた。
昨年オフに大量解雇された東北投手陣を就任が決まった克也氏に「おやじだったら再生できる投手が何人もいる」と進言、それに答えるかたちで一度は職を追われた小倉投手が復帰し、この1年重要なセットアッパーとして、また福盛投手が不振だった時期にはクローザーとして活躍した。
10年間に221試合に出場、352打数65安打、注目をされていた長打力も本塁打4本で東北では遂に1本も打つことが出来なかった。
「声だし」など野球に取り組む姿勢を球団は高く評価し、コーチ就任を要請している。監督の傍で後進の指導にあたることになるだろう。「名選手、名将にあらず」を逆にいく活躍が出来れば嬉しい。

Nagaike 永池恭男選手
福岡工大付高から91年ドラフト2位で横浜ベイスターズに入団。95年からは守備要因として1軍に定着するが、98年阿波野投手との交換トレードで巨人へ移籍、この時から3シーズン「永池們多(もんた)」として登録。03年には2対2の交換トレードの一人として大阪近鉄へ移籍、分配ドラフト前に自由契約になるが東北のテストに合格し再出発。
グラブ捌きには定評があり「守備の人」という印象があるが、福岡工大付高時代は甲子園出場こそないが通算20本塁打のスラッガーとして注目を集めた。
みずしな孝之氏の4コマ漫画『ササキ様に願いを』で、福岡出身の渋谷系というキャラクターで出演?している。
14年間の現役生活、349試合に出場、期待されたホームランは3本で終ったが、どこでも守れる器用な守備で魅了してくれた。
東北には「永池おじさん」と僕らが呼ぶ人がいて、試合中終始「代打・永池だ」「永池を出せ」「ここで永池だ」と戦況に関係なく叫んでるファンがいた。さぞかし淋しがっているだろう。
来年はコーチとしてチームに残る決断を固めている。

Satake 佐竹学選手
道産子で東海大四高~東海大から97年オリックスにドラフト4位で入団、分配で東北に来た。投手と捕手以外のポジションはこなせる選手だが、「ここは絶対に佐竹!」というポジションを攻守両面で築けなかった。野村監督就任で走塁面の向上というのが、新聞紙上で取り上げられるケースが多いがチームの中で真っ先にその積極的な走塁をしたのが、佐竹選手だった。4月13日の北海道日本ハム戦、7回裏二死満塁、二塁ランナーだった佐竹選手はリック選手の放った二塁への内野安打の間に本塁へ突入、東北が今季初の連勝に繋がる活躍を見せたのが印象深い。このほか4月1日のブログ(→こちら)に書いたことが、僕の思い入れです。
通算538試合に出場、チームは松本ヘッドコーチの退任に伴い、橋上守備走塁コーチがヘッドに昇格、その空いたポストへ佐竹選手の起用を考えているが、「本人は最終戦までに結論を出します」と態度を保留中。東海大四高の先輩で現在東京ヤクルトでコーチを務める、佐藤真一氏が30歳を過ぎてから才能を開花させ、40歳まで現役を続けたことが少なからず、現役への拘りとして頭を過ぎるのではないだろうか?と思う。
先の日ハム戦での好走塁で5月2日に「JA全農Go・Go賞」を受賞しているが、副賞のお米60kg.を「去年ケガをして迷惑をかけたので、トレーナーさんにプレゼントする」という人柄だ。
僕個人としては、まだ「お疲れ様」を言いたくない気分で、必ず来シーズンも佐竹選手が必要になる場面があると感じている。

東京ヤクルトも大リストラという噂を耳にした。
「寿命」があることはわかっているが、切ないことですね。

20th Century Boy: Ultimate Coll (Dig) 20th Century Boy: Ultimate Coll (Dig)

アーティスト:Marc Bolan,T Rex
販売元:Hip-O Records
発売日:2002/08/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する

今日9月30日はマーク・ボランのお誕生日。1947年生まれなので、生きていれば来年還暦だったのだ。先日NHK-BSでT-REXのフィルムが流れていたが、音楽もファッションも21世紀の今、登場してきても衝撃があったのではないかと思えるものだと再認識させられた。21世紀のグラム待望。

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2006年9月27日 (水)

戦力外通告

今朝は久しぶりに野球の話題を。

25日に行なわれた高校生ドラフトで、東北ゴールデンイーグルスは一番人気の今夏の甲子園準優勝投手、駒大苫小牧高校の田中将大くんと、甲子園経験こそないが強肩強打の大型捕手、石川県尾山台高校の山本大明くんの交渉権を獲得した。
このあと11月21日には、大学生・社会人ドラフトが行なわれ新戦力の設計図が明らかになっていくのだが、反面プロ野球には1球団70人という「支配化選手枠」がある。
東北ゴールデンイーグルスには、9月25日現在69人の支配化選手がいたので、新人が入ってくるとなると当然、球団にいられなくなる選手も出てくる。

昨日球団は構想から外れた7人の選手に、来季の契約を行なわないことを通告した。
「戦力外通告」というやつだ。
プロ野球の世界に就職した人には、いつかは訪れる日ではあるが、この時を自らの判断で「引退」を決めることが出来る人もいれば、「まだまだやれる」と自信に満ち溢れていても、雇ってもらえない人もいる。

昨日発表された7人は、どちらかというと後者の人達。
怪我や病気を患っている人もいるが、球団から言われなければきっと来季もユニホームを着ていただろう人達だ。
毎年必ず居るのだということはわかっていても、やはり淋しい。
みんな野球がすきなのだから。

34kaneda 金田政彦投手
大分・高田高から日産自動車九州を経て92年ドラフト2位でオリックスに入団。2001年には開幕投手を務め、2002年には最優秀防御率のタイトルも獲得した。通算14年間に244試合に登板、52勝62敗1S。177cm 62kgの細身の体から巧みに繰り出される90キロ台のスピードのカーブが素敵だった。今季は背番号を34にして、「左腕・金田・34」とオールドファンに期待を抱かせ、3月11日の中日とのオープン戦では負投手になったものの、先発し6回を1失点に抑え復活を予感させただけに今シーズンは残念な結果だった。本人は現役続行の意思もあるようだが、ひとまず「お疲れ様でした」というところだろう。

Tamaki 玉木重雄投手
ブラジル・サンパウロ出身の日系3世。日系ブラジル人として初めての選手ということで、サンパウロの日伯文化協会・移民博物館に前籍の広島カープのユニホームが飾られている。来日は1990年、三菱自動車川崎に就職し、95年の日本選手権ではMVPを獲得し、その年のドラフト3位で広島カープに入団、05年無償トレードで東北へ。右の中継ぎとして活躍した。11年間で373試合に登板、34勝23敗8S。「プロ野球に入れてよかった。悔いはない」と引退を示唆するコメントを出したが、今年1年故障によりマウンドに立てなかったことを考えると、人に言えない悔しさでいっぱいだろう。「本当にお疲れ様でした。」

Tokano 戸叶尚投手→HP
栃木県佐野商高から93年ドラフト5位で横浜ベイスターズに入団。97年には10勝をあげ、翌年の98年横浜日本一の功労者の一人でもある。01年からオリックスに移籍、05年の分配で東北へ来る。横浜時代からの親友・福盛投手との仲の良さは特筆もの。69回の先発登板をしたことがあるが、1度も完投したことがないという珍記録の保持者。今年7月体調不良を訴え検査、悪性腫瘍が発見され8月9日手術を受け再起を懸けていた。自主トレの帰り道、僕と小皇帝くんの横を、福盛投手がバックで爆走して球場の通路を走り去るとき「ごめんなさい」と手を合わせて謝る戸叶投手の顔が人柄を感じる出来事だった。体力を取り戻せば、まだまだやれるだろう、新天地目指して頑張れ!

Yano_1 矢野英司投手
神奈川横浜高校~法政大学から98年ドラフト2位で横浜ベイスターズに入団。04年に近鉄へ移籍、05年分配で東北と福盛投手と同じ道を歩いてきた。通算58試合に登板し4勝7敗1S。入団時には150キロを超えるストレートと切れ味鋭いスライダーに期待がかかったが、肘の故障以来、本領を発揮できずにいた。制球力抜群のピッチングに「足りないのは経験だけ」という声もある。トライアウトを目指すようだ、頑張ってほしい。

Ksato_1 佐藤和宏投手
熊本県阿蘇高~九州東海大~ホンダ技研熊本から01年ドラフト6巡目で大阪近鉄に入団。分配で東北へ来た。03年近鉄時代に登板した1試合2イニング奪三振1が公式記録として残るのみ。今シーズン始めは、小倉投手とともに野村監督の目に止まったが、期待を結果に出来なかった。残念である。

Sakai_1 酒井忠晴内野手
東京修徳高から88年ドラフト5位で中日に入団。入団後すぐに頭角を表し1軍に定着、名手・高木守道監督のもと守備の職人道を歩むが、高木政権崩壊とともに96年ロッテに放出。99年には三塁手として、00年には二塁手として、それぞれ100試合以上に出場し「恐怖の9番バッター」と恐れられた。03年山田・中日に復帰するも職人・川相の加入で出場機会を失い、自由契約になる。トライアウトで東北にお呼びがかかり新球団へ参加。一部からは「田尾の恋人」などと言われ、派手さのないプレーを嫌うファンには批判を受けていたが、05年は105試合に出場し6エラーと堅実さは流石だった。通算16年間1034試合に出場した。この機会にユニホームを脱ぐことを決断。「お疲れ様でした。」

Masuda 益田大介外野手
兵庫県滝川二高~竜谷大から95年ドラフト6位で中日へ入団。入団2年目にはレギュラーを獲得するも怪我の影響で不振が続き、01年大阪近鉄へトレード。その年の近鉄優勝の決定場面、北川選手の代打満塁サヨナラ優勝決定本塁打のランナーのひとり。分配で東北へ来た。11年間で555試合に出場、通算打率.267、本塁打16本。本人は現役続行を希望している、頑張ってもらいたい。

東北ゴールデンイーグルスは、バレント外野手を既に解雇し、バワーズ投手とも来季の契約は結ばないと発表しており、ここまで計9人の選手の退団が決まった。
昨日発表された7人に共通するのは『怪我』。
活躍していながら、または期待されながら怪我によって本来の実力を発揮することが出来なくなってしまった。東北ゴールデンイーグルスは12球団一とも思えるトレーナー陣を擁する球団である、これからの選手に一人でもこうした選手が減ることを期待したい。

リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(DVD付) リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(DVD付)

アーティスト:ジョージ・ハリスン
販売元:東芝EMI
発売日:2006/09/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

今日27日、73年にNo.1ヒットを記録した「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」の最新リマスター盤が発売になる。付録のDVDは、91年ジョージ・ハリスンwithエリック・クラプトンandヒズ・バンドの東京公演「ギブ・ミー・ラブ」の映像らしいが、こんな形で“付録”として名演奏を世に送り出し、多くのジョージ・ファンが持っているであろうアルバムを再購入させる手段をとるメーカーの姿勢は誉められるものじゃないと感じる。これで挙句91年の日本公演のDVDのリリースがあるんだろうし!ファンを嘗めてるとしか思えないメーカーの姿勢だ!

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2006年8月14日 (月)

続・阪神甲子園球場

暑かった。
ひたすら、暑かった。
そして、熱かった!

2006081301_1 仕事で名古屋から大阪への移動日、大阪で特別な用事もないので、「第88回全国高校野球選手権大会」に行ってきました。
高校野球を甲子園で観戦するのは、2度目なのですが、前に行ったときは、只「暇だから」行ったのですが、今回は地元・仙台育英の試合の応援という、ただの観戦目的以上の目的で向かいました。

宿泊していた名古屋のホテルを7:30頃にチェックアウトして、帰省ラッシュの新幹線に乗車、今年は高速道路の渋滞も凄いらしいですが、新幹線も凄いものがありました。
大阪到着後は、旅行鞄を下げての観戦は辛いので、宿泊予定のホテルに荷物を預け「帽子、タオル、傘」の観戦グッズだけを手に、梅田から阪神電車で行ってきました。

2006081314_2 梅田駅の切符販売機では、「甲子園往復切符」が売られているのが、嬉しい気遣いだなと思いました。野球観戦後に切符売場に並ぶのって、観戦疲れに拍車を掛けますからね。
おまけに写真のように、甲子園駅は小さな駅なので、そんな往復切符発行などで、少しでも混雑緩和が出来ればってことなんでしょう。

2006081315 甲子園駅を出ると、阪神タイガースの本拠地らしく「タイガース50周年記念」の虎の銅像がお出迎えをしてくれます。
そして、駅前には何軒ものお土産屋さん、流石動員No.1の球団の本拠地です。「地域密着」なんて大声で謳わなくても、きちんと出来上がっている感じが素敵です。

2006081317 球場正面には、日程表があります。
上が一塁側になる学校です。内野席でも\1,200の入場料で1日観戦出来ますが、応援団が入る「アルプス席」は、なんと\500で入場出来ます。
仙台六大学野球の入場料と同額って考えると、こちらのほうが遥かに「お得感」がありますが、それは個人差もあるのでしょうからまぁ良いでしょう。

2006081316 球場正面には、過去の優勝高の校旗が並びます。
ここに東北の学校のものがひとつもないのが淋しいです。
今回出場の仙台育英は、地区予選準決勝終了後、決勝戦の日程が会場の「県営宮城球場」をプロ野球が使うってことで日程を延ばし伸ばしにされた上、東北高校と戦った決勝戦が延長でも決着つかず、再試合のうえで決まるという過酷な状況で勝ち名乗りをあげました。
その名乗りを上げたのが、8月1日で出場49校の49番目の決定でした。
実は、仙台育英は49番目に名乗りをあげるのは今回二度目。
前回、49番目になったときには、大越投手を擁して準優勝した“伝説”の年です。
それだけに、この優勝高校旗のなかに仲間入り出来ることを期待してしまいます。

2006081322 入場して最初に陣取ったのは、アルプス・スタンドのライトポール際、試合の様子が見渡せる場所を確保しました。

“甲子園名物”かちわり氷(\200)なしでは、耐えられない暑さです。(かちわりの写真、ごめんなさい写す前に使ってしまいました。そんなことも暑さを伝える要素になれば・・・なんて)

2006081321 ところが1回2三振、2回3者三振と立ち上がりが良かった2年生エース・佐藤由規くんですが、3回振り逃げでランナーを許してから様子が一転し、あれよあれよという間に4点を許してしまいます。
しかし、育英打線は相手の阿部拓也くん(こちらも2年生)を「すぐ打ち崩せる」と思ってバットを振っているのか、なんだか淡白な攻撃が続き得点できません。

2006081307 こうなると高みの見物的に、スタンド後方にいられる自分ではありません。4回の育英の攻撃からは、ネット越しで見難い座席ですが、応援団の前方、野球部のベンチ入りが出来なかった人達が応援する真横に移動です。
そうしたところ、5回の攻撃は1点を返し、更に満塁と相手を苦しめ始めました。最初から、ここで応援していれば?と、少し反省。
この2死満塁のチャンス、8番キャッチャーの斉藤泉くんがレフトへ大飛球を放ちます。誰もが「抜けた!同点だ!」と思ったときです。山形日大のレフト・庄司貴胤くんのグローブにボールはすっぽりと収まってしまいました。
この庄司くん、7回にもレフト前に落ちたボールを本塁に好返球し斉田崇人くんが刺されてしまいます。守備で“満塁ホームラン”に匹敵する活躍をされてしまいました。

仙台育英は最後まで、「あと一本」に泣いた試合展開で、最終回も一打同点、ホームランならばサヨナラというところまで追い詰めますが試合終了。
6-3と熱い戦いに終止符が打たれました。

2006081320
試合には破れましたが、炎天下のなか必死に戦った選手達、応援した生徒達!みんな素晴しかったです。
野球というゲームで「1点」が入る素晴しさをあらためて感じさせてもらい、仙台育英ナインには感謝、感謝です。
来年の夏も、その次の夏も、またチャンスがあったら、このスタンドに来たいと思います。
小皇帝くんも小学生くらいになって、僕と二人で旅に出られるようになったら一度連れて来ようかな?野球の素晴しさを見るには、プロ野球よりも数倍感じられると思いますので。

Sounds of 甲子園球場(夏の高校野球編) Sounds of 甲子園球場(夏の高校野球編)

アーティスト:野球
販売元:3Dシステム
発売日:2006/08/02
Amazon.co.jpで詳細を確認する

5回のグランド整備中に『栄冠は君に輝く』がかかっているが、結構スタンドで口ずさんでいる人がいる(自分もだが)。みんな高校野球が好きなんだな!って思います。山形県勢は47都道府県の中で唯一、夏の甲子園でベスト8に進出したことがない。日大山形の今後に期待。

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2006年7月22日 (土)

東京音頭!

「ご飯だよー」最近は、小皇帝くんが仕事部屋に呼びに来てくれることが多い。でも時々(一昨日発生)「カレーだから早くおいで」と、行ってみるとカレーなど食卓にはない、一昨日の場合は肉じゃががあった。「カレーじゃないじゃん!」というとTVを見てシカトする。
まったく!

昨夜は呼ばれて食卓につくと「ドラえもん」を見ていた。
TVに夢中になって、箸が進まないので「消すぞ」と数回警告を与えたが、一向に利き目がないのでOFF!
以前だと、これで泣いたのだが、最近は僕の腕を叩いて怒る。悔しさを僕の腕にぶつけて、僕の食事の邪魔をするのだが、構わず食事を続けた。
呆れて奥様が小皇帝くんを諭し、「ご飯をちゃんと食べるから、TV点けてくださいな」と言ってきたのでON。僕は部屋のTVが消えていると凄く寂しくなってしまうので、実は安心する。

ドラえもんが終わったら、即チャンネルを変えなければヤバいことを思い出した。ドラえもんのあとは恐怖の幼稚園児・しんちゃんが出てくるからだ!
だからお話が終わった瞬間にチャンネルを変えた。エンディングテーマなんか見せない!で、「神宮は雨だろ」って思っていながらも「もしかして」と思い、仙台放送にチャンネルをジャンプすると、やっているではないですか!オールスターを!

久しぶりに見ました。プロ野球のオールスター。
ここ数年、何だか盛り上がらなくて見ていなかったのですよ。昔に比べると「華」のある選手が減ったなぁなんて、よく言われる部分もあるのでしょうが、出てくる選手達からも「選んでもらえて嬉しい」とか「この場にいられて誇りに思う」なんて感じが伝わってこなくて。
昔は「王さんや長嶋さんと同じベンチに入れる」というステイタスみたいなものをTVを通してでも感じたのですが、そのあたりがな・・・って。

つまり出場出来る選手数が少し多すぎると思うんですよ。つまり2試合は多いと、あれだけ球団数のある大リーグだって一試合しかなくて、だから選出されない球団があったりするの凄く当たり前なわけで、だから出られた選手達は凄い高いプライドを持ってグランドにたっている感じがひしひしと伝わってくる。
子供たちに「オールスターに出られるって凄いだろ!」って言える感じが、最近はないのですよね。
そりゃ新庄選手みたいに、出れば色々楽しませてくれる選手もいるけれど、「オールスターのグランドに立てて凄い」って言うのとは、少し違うと思うんですよ。

まぁだから、あんまり見てなかったオールスターなんですが、僕の心の故郷・神宮での開催っていうのと、古田監督が選手として選ばれたっていうのがあり、気にはなっていたのでね。Atsuyaf
で、ドラえもんからチャンネル変えたら、古田選手が「40歳対決、楽しかったです」って、おい!終わってるよ(泣)
ドラえもんのあとに古田の話題って、別に狙って書いてるんじゃないですよ。入団当初“のびた”と呼ばれた彼も、監督さんなのですから。
でも古田の打席は見られなかったけど、何だか試合経過を聞いていると、東京ヤクルト・青木選手がエラーはするは、ホームラン打つは、盗塁決めるは、失敗するは・・・なんか本拠地開催ってことで暴れまくっているみたい。
出場機会は少なかったとはいえ、青木選手も「世界一の野球チーム」の一員でしたからね。WBC決勝進出が決まって、僕が一番に期待をした(こちらをどうぞ)のが青木選手でしたから、我武者羅に野球をやってくれるの嬉しいです。

2006072101004917 そして東京ヤクルト勢、岩村も豪快な一発!今シーズンNo.1新人ピッチャーのオリックス・平野投手に役者の違いを感じさせる一発でしたね。平野投手にとっても良かったのではないでしょうか?一級品のバッターって、あんな叩き方が出来るんだ!って感じる一発だったでしょうから。
投手陣も頑張りましたね。石川投手もパの右打者相手にグイグイ行くかんじがGoodでしたね。「シーズン中もそれやれよ!」って言いたい攻めでした。
そして、何と!オールスター出場16年ぶり!って木田投手。今回一番若い、西武・涌井とかロッテ・西岡とかが、4~5才の時に出た以来の出場って凄くないですか!
そんなの見ると「親子でオールスター出場」とか、マンガのあぶさんの世界の話だけじゃない感じしてきます。おまけに木田投手、前日には「笑っていいとも」に出て「オールスター見てください」ってプロモーションまでやっていたっていうから嬉しいですね。

そんな本拠地・東京ヤクルト勢の活躍に目を奪われていた僕ですが、最終回は痺れましたね~!
藤川球児vsカブレラ、藤川球児vs小笠原。両者、目を逸らさずにストレート1本とフル・スイングの対決は気分良かった!「オールスターはこうでなきゃ!」って思いました。
更に最後は、クルーンvsフェルナンデス。こちらも見応え充分、充分過ぎて「何だよ160キロ出なかったジャン」と贅沢な不満を漏らしてしまいました。

今日の第二戦は、宮崎。雨が昨日以上に心配です。昨夜MVPの青木選手の地元ですが、イーグルスから選出された福盛投手の地元でもあります。今日の見所をここに持っていくのは・・・少数派かな?

ところで、いつもフルキャストに野球見に行ってて思っていたんですが、イーグルスって得点が入っても「バンザーイ!バンザーイ!」ってやっているだけで、「行け!行け!」って後押しする感じが足りない気がするんですよね。昨日も岩村選手のホームラン見て、客席に傘が開いて「東京音頭」が歌われるのを見ていると、その“後押し”の感じがあるんですよね。
勿論、神宮の応援には亡くなった応援団長の岡田さんが、自分の商売そっちのけで応援して、はじめは数人だった傘持ってくる人を徐々に増やして・・・って凄い長い年月掛かっているんだけど、でも常に岡田さんは、ヤクルト・カラーのビニール傘を球場で買う人見てて「傘なんて何色でも良いんだよ。家にある傘持ってきてくれれば良いんだから」って訴えていたことを思い出し、いま自分を含めて球団が売り出してるユニホーム着て、メガホン持って・・・ってスタイルはどうなのかな?勿論、それは応援する気持ち、ファン側の心理として当たり前の行為だし否定なんかしないけど、どこの球団もそれに甘えているんじゃないの?って感じがあるなって思ってしまった。

Enatsuallstar9k_1 オールスターの思い出って言えば、間違いなく江夏投手の9連続三振で、僕は産経アトムズって弱い球団を応援しながらも、普段は江夏や村山と王・長嶋の対決には痺れてて、その人たちが一緒のチームでやるっていうのがまた夢のようで、まさに「夢の球宴」だった。
MOJOさんという方のブログ(こちら)で、先日何度かふれた「グランド・ファンク雷雨の後楽園球場」が、この試合と同じ日だったっていうのを知って、僕には何だか偶然じゃない気がしてならなかった。時代が生んだ、昭和の日本に必要な出来事だった気がします。

アズ・セイフ・アズ・イエスタデイ・イズ アズ・セイフ・アズ・イエスタデイ・イズ

アーティスト:ハンブル・パイ
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2000/09/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本日7月22日は、「円周率近似値の日 (Pi Approximation Day) 」ということだ。何故かというと、円周率の近似値が「22/7」だから・・・くだらなすぎるので、円周率がπだから、今日はハンブル・パイ・・・更にくだらなくしてみました。スティーブ・マリオットとピーター・フランプトン、音楽、声、ギター、ルックス、こんなに揃った奴が二人で始めたバンドのデビュー・アルバム。「ヘビメタを発明したのは、ハンブル・パイ」僕の持論です。

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2006年7月18日 (火)

後楽園球場

生まれて初めて見たプロ野球の試合は、巨人vs広島の試合だった。Joe
何年の何月何日のことかは、全く覚えていないが小学生のまだ低学年だったのではないかと記憶している。
先発のピッチャーは、城之内と安仁屋。エース同士の戦いを1塁側の内野スタンドから見た。
ゲームは5回頃に、もの凄い雨が降り出しノーゲーム。
水捌けが最悪だった球場で、通路は僕の膝よりも高い位置まで雨水で溢れた。

場所は現在の東京ドームの直ぐ横、東京ドーム・ホテルが建つ辺