7月1日に面白そうな本が出版されました。
その本はこちら、
仙台を本拠地にします、楽天野球団の代表取締役社長を務められます、島田亨さんの著書『本質眼』です。
帯にあります内容紹介には、
経営の本質を見極めれば、業種はもはや無関係である。
38勝97敗1分。新規参入した楽天イーグルスで初年度、不可能と言われた黒字化を達成。三木谷氏に「カルロス・ゴーン氏にも匹敵する」と言わしめたその卓越した経営力、ビジネス戦略のロードマップとは?
インテリジェンスを共に立ち上げた盟友・宇野康秀氏、当時の部下・藤田晋氏、ビジネスパートナー・三木谷浩史氏……志を共にした仲間との日々ーー。
と、あります。さぁ果たして楽天野球団はどんな戦略で、黒字化というプロ野球の常識を塗り替える快挙に至ったのでしょう。内容を吟味するとともに、僕なりの「仙台市民の目」で内容検証をしたいと思います。
なるべく本の進行に併せた形にしてみますが、一部前後するかもしれません。予めご了承ください。そして、あくまでも私見ですので「仙台市民」の総意などとも決して思っていただきたくないです。そして「僕自身はチームを応援している」という点。以上をご理解のうえ、ご一読ください。
さて第1回目は、第1章の「弱者の戦略」からですが、突っ込みどころの多そうな記事が多いので乱暴にならないように注意しなければ・・・
まず話は「初年度黒字は、球界へのメッセージ」というタイトルから始まります。僕はこの楽天野球団の姿勢をもの凄く評価しています。何故ならば、それが普通だと思うからです。プロ野球チームとはいえ、会社である以上は利益をあげていくことは、社会に於いて使命です。
旧来のチームが毎年何億もの赤字を出し続け、それを親会社の宣伝費などとして処理(具体的に経理上というのでなく、考え方として)していたこと、またそれを許していた構造や風潮というのは、凄く問題を感じる部分です。その宣伝費(という言い方にしますが)抽出のために、親会社はその分多くの利益が必要とされるわけで、結果それが商品などの料金に反映されたり、収めるべき税金が少なくなったりと本来野球とは関係のない部分での影響が大きすぎます。その為楽天野球団が目指した「黒字」というのは、非常に健全であるし、当然の行為と考えます。ただそのための“手段”が健全であるかどうかは、この本を読み進めるなかで非常に興味のある部分ですが、この出だしで行き成り?マークのつく表現に目を止めてしまいました。
それは楽天野球団がプロ野球参入をする経緯説明の文章にありました。
2004年、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブが、合併を前提に話し合うと発表。これを機に、プロ野球1リーグ制への流れが急速に進んでいきました。
周囲の猛反発にもかかわらず、オリックスと大阪近鉄との合併は一方的な形で決定されてしまいます。
9月15日、楽天が、パ・リーグへの新規参入検討を発表。翌日、かねてから大阪近鉄買収に名乗りを上げていた株式会社ライブドアベースボールも、新球団の加盟申請をしました。
「2リーグ12球団維持」を求める選手会は、翌年からの新規球団の参入をプロ野球機構に訴えるものの、満足のいく回答は得られず、ついに9月18日、19日の2日間にわたって、日本プロ野球史上初のストライキを決行します。
11月2日、都内のホテルでプロ野球実行委員会、引き続きオーナー会議が開かれ、パ・リーグへの新規加盟をしていた楽天とライブドアについて最終審査が行なわれました。
審査の結果、楽天の参入が正式に承認されたのです。
この記述のされ方に、ハテナ?と思いませんでしょうか。
これでは、まるで自分達がプロ野球で新規球団を設立しようと動いていた矢先に、近鉄買収で動いていたライブドアも新球団設立の動きをした。という表現になっていませんか?
今となっては、「仙台良かったじゃん、ライブドアじゃなくて」という意見が殆どだとは思います。ライブドアがあれほどの企業だったとは、知る余地もなかったあの頃は、僕もライブドアによる新球団を支持していました。だから覚えているのですが、この島田さんの記述にもあるようにライブドアは、大阪近鉄の買収に名乗りを上げていました、しかし近鉄本社・球団から予想以上の抵抗にあったライブドアは8月19日には、買収が出来ないならば新規参入したい意向を発表しています。
この時点では、大阪に本拠地、名前にバファローズを使いたいなど、あくまでも近鉄消滅の後釜狙いの意向でしたが、9月8日にオーナー会議で合併が承認されたことを受けて、9月16日に株式会社ライブドアベースボールを設立したことと県営宮城球場をフランチャイズとして参加申請を行なったことを記者会見しています。
一方の楽天は、島田さんの記述通りに9月15日に参入を検討していることを発表はしているが、この際には本拠地は神戸に置くことで発表がされています。そして9月18日に、長野市の鷲澤正一市長にオリンピックスタジアムの本拠地としての使用を楽天関係者が打診していたことが判明、20日には三木谷オーナーと太田房江・大阪府知事との会談があり大阪ドームの本拠地使用が想定内であることが確認され、それに対し大阪府も出来る限りのバックアップをしたい旨が伝えられていました。
ところが22日の発表で、ライブドアと同じく宮城を保護地として24日に参入申請する発表があります、この時点では長野でも年間10~15試合をしたい意向を示すなど鷲澤市長に最後まで期待を持たせる策にでていたのが印象的です。
まぁ結果としては、プロ野球オーナー会議のお爺様たちの“年の功”でしょうか、“先見の明”でしょうか、ライブドアは落選、楽天が新規参入を許された形になりました。
しかし当時「後だしジャンケン」と罵られた楽天のやり方、それに至る経緯はやっぱり一行も伺うことができませんでしたし、知らない人が読んだらライブドアと楽天は同じスタートラインからスタートを切ったように感じ取れます。
しかし実態はどうでしょう?選手会がストライキに至るまで強固にプロ野球機構と戦ったことは、楽天の参入表明ではなく、ライブドア・堀江氏による、大阪近鉄買収の名乗りから始まる一連の動きが世論を味方につけ、実行できたのではないでしょうか?
勿論、例の「たかが選手が」発言がターボのように作用したこともありますけれども、どれほどライブドアが新規参入の道を作り上げ、そこで自分達が商売をさせてもらっているのか、少し不満の残る表現です。
初っ端からこの調子です。次回は「球場使用料で赤字を出す時代は終わった」というお話について進めます。
今日はここまで。
作家・作詞家の松山猛さんが、朝鮮学校との喧嘩が絶えないことへの解決にサッカーの試合を提案しに京都・銀閣寺の近くにあった朝鮮中高等学校を訪れた時に、聴こえてきたのが『イムジン河』だった。数年後、フォークルの加藤和彦さんに歌うことを提案した。当時ベトナムは戦禍に覆われていた、戦争により人が傷つき、文化や暮らしが破壊され、国家の分断などもうごめんだと、平和を祈って、願って詞が書かれた。1968年デビュー曲『帰ってきたヨッパライ』に続く第二弾として用意されていた曲だが、朝鮮総連は朝鮮民主主義人民共和国の歌であることなどを表記することを求めた。一方、韓国は日本国内で北の歌が流行ることを懸念し、レコード会社に圧力をかけ発売禁止に持ち込んだ。34年後の2002年にようやく発売されたCDです。北と南を分断するように流れる『イムジン河』を、北の人達は人間関係にすらも築いてしまった。c/wの『悲しくてやりきれない』のサトウハチローさんの詞のように空を見上げてしまう朝からのニュースだ。
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