2007年2月 4日 (日)

にじを あつめて

小皇帝くんと僕はなるべく一緒に寝ている(だから僕は異常に早起きだったりするのだが)。ベッドに入るとき、必ず一冊の絵本を用意してから布団に入る。
この絵本は毎晩、歯磨きが終ると小皇帝くんが自分で読んでもらいたい本を選んでくるのだが、最近そのなかでよく持ってくるもので僕も気に入っている本がひとつある。

2007020401 学研のおはなしえほんという月刊のもので、93年の7月号として出た(作、絵ともに)坂本弘さんという方の作品。
雨上がりに虹が出ると、木に登ったり、池に写った虹を網ですくったり、吊り橋からロープで引き上げたりして虹を集める。ロケットを作り、集めた虹を火にかけ溶かしてスープのようにして、ロケットに入れ、ロケットを丘の上に運び、夜を待ち、きれいな星空に向かってロケットを放つと夜空に虹が懸かるというお話。
いかがですか?素敵なお話だと思いませんか?

RETOROSPECTIVE RETOROSPECTIVE

アーティスト:THE COLLECTORS
販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:2000/04/29
Amazon.co.jpで詳細を確認する

日本に於けるモッズの草分け的バンドの代表であるTHE COLLECTORS(→公式HP)が92年に発表したナンバーに『ミッドナイト・レインボー』という御機嫌なナンバーがあるのだが、この絵本を読み聞かせているあいだ、僕の頭のなかにはその『ミッドナイト・レインボー』が響きわたっているのだ。

Baby  世界は Oh  yes
大きくて  ワイルドで  青くて
少しズレてく
Baby  世界は  Oh  no
どうにもボクには
止められない

死んでしまうほど・・・  果てるほど
LOVE YOU!愛したよ
答えがあるなら探すから
雨があがるまで

Baby  ふたりは  Oh  yes
誰にも見えない
真夜中のレインボー

ラララ・・・  ラララ・・・  ラララ・・・
Ah  ミッドナイト・レインボー  yeh!

ロード・サッチ・アンド・ヘヴィー・フレンズ ロード・サッチ・アンド・ヘヴィー・フレンズ

アーティスト:ロード・サッチ・アンド・ヘヴィー・フレンズ
販売元:ヴィヴィッド
発売日:2005/07/20
Amazon.co.jpで詳細を確認する

1971年イギリスの高級自動車メーカー、ロールスロイスが経営破綻し国有化されたのが2月4日。高級車には、あまり興味がないのでロールスロイスと言ったらジョン・レノンのピンクのロールスとこのジャケットしか想い浮かばない。が、この車ってロールス・ロイス?誰か教えて下さい。ところでロード・サッチって誰?って思いますよね。イギリスのロック界に広い人脈を持つ変わり者。一時期ミニ政党まで作ってしまった人でした。1999年に首を吊ってあの世に逝きました。

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2006年12月27日 (水)

今日もホッピー話

このブログにたびたび登場するホッピー。
今ホッピーに関して書かれた一冊の本が話題になっている(か?)。Photo_6

Book 中央線で行く東京横断ホッピーマラソン

著者:大竹 聡
販売元:大竹編集企画事務所
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カルトなミニコミ『酒とつまみ』(→こちらHP)の発行人である大竹聡さんが自ら歩き訪ねた旅行記?
東京の「まあるい緑の山手線、まんなか通るは中央線」の中央線32駅全てでホッピーを飲み歩いたお話&ボーナス・トラックで京王線26駅。
この58駅で飲み代約18万円と交通費を自腹を切って取材?したそうですが、各駅のお店が紹介され店名はでてくるけれども住所や連絡先など一切出てこないという本だそうだ。
「だそうだ」というのは、実は僕もまだ読んでいないのだが、ちょっとホッピーに関することでネットサーフィンをしていて、著者の大竹聡さんが今年9月8日にTBSラジオの長寿番組「ストリーム」(→こちらHP)の「コラムの花道」に出演されたときの録音を聞き、この大竹さんの話に笑い転げてしまったのです(→こちらでダウンロードできます)。

この『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』、東京から高尾まで中央線各駅停車で32駅、全ての駅で降りてホッピーを飲める店を探して飲む、そしてそれを文字にする。という企画なんですが、さすが中央線というべきなのか、この著者のエネルギーというのか全駅で見つけるというのは凄い!としか言いようがないですね。
単純に僕なんか考えると、東小金井や西国分寺、日野なんかは見つけられそうにない雰囲気を感じますが、見つけているんですね~!

各駅で紹介されている店一覧は(→こちらへ)な感じなんですが、様々な店がありそうですね~。
スタートの東京駅では、僕も東京に行くと何処かの店に必ず立ち寄る加賀屋(→こちら)を「ホッピーといえば、やっぱり加賀屋」とスタートをきっているのがまず親しみを覚えてしまいます。そして御茶ノ水では、とても気になる「辛くて熱いぜ、チリホッピー」、「ホッピー一筋、生ビールはありません」が気を惹く千駄ヶ谷やまもとや。
「外1杯で中身5杯が基本と教わった」これは死んでしまうぞ!飲兵衛の楽園・西荻窪などなど、そしてホッピー遭遇が不安な多摩地区も完全に制覇している。

2006122601 「コラムの花道」でとても素敵な松本ともこさんも大竹さんに質問しているのが、ホッピーの幟などをだしていない店でホッピーがあることを知るのはどうするのか?
これはこれほどの数の店でホッピーを飲んできた人に殆どの人が聞いてしまう点だと思いますが、答えは店の裏に廻って積み上げてある空き瓶からホッピーの存在を確かめて入店するそうです。
写真の空き瓶は、東京世田谷の某所で真昼間からホッピーを痛飲する老人達が集う中華店の脇にあったものです。この店も空き瓶で入店する人いるんだろうな?と思われる感じです。

「日経 おとなのOFF」にも大竹さんのインタビューが載っています。読んでみましょう!(→こちら

センチメンタル通り センチメンタル通り

アーティスト:はちみつぱい
販売元:キングレコード
発売日:2000/02/04
Amazon.co.jpで詳細を確認する

1904年12月27日 ジェームス・バリーの童話劇『ピーターパン』がロンドンで初演された。仙台には来年で開店35周年を迎えるロック喫茶『ピーターパン』という店があるが、この店を最初に訪れたミュージシャンというのが、ムーンラーダースの前身であるはちみつぱいの頃の鈴木慶一さん達らしい。ムーンラーダースもピーターパンも30年を越えてもなおロックを探し続けている。僕もあとを追おう。

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2006年11月17日 (金)

青い自動車

Photo_5 ディズニーのお話『青い自動車』(原題Susie The Little Blue Coupe)をご存知でしょうか?
1952年の短編アニメ作品で、日本では絵本として馴染み深い作品です。
ご存知ない方のために簡単にストーリーを紹介します。

ある町のカーショップに飾られていた青い自動車“スージー”。スージーは、街を行く人達に毎日、羨望の眼差しで見られていました。
ある日ひとりの男性がカーショップを訪れ、スージーを気に入りかわれることになります。
毎日毎日いろいろなところを走り回り、夜はガレージでゆっくりと休ませてもらいます。しかし何年もの時間が過ぎると、青い色はすっかり褪せ、自慢だったスタートも悪くなり、あちらこちらに疲れが目立ちます。
修理工場で診察をしてもらいますが、修理するところが沢山あって、お金が掛かることを知ると、持ち主の男性はあっさり新しい車に乗り換えると手放されてしまいます。

中古車売場に並べられたスージー、今度は乱暴な男のところへ行くことになります。運転も乱暴なうえ、寒い夜でも道路に放って置かれます。
そんなある夜、スージーは泥棒に連れ去られてしまいます。パトカーに追いかけられて、橋の下に隠れたりしますが、街中を逃げ回っている時に電車と衝突事故に遭ってしまいます。

ポンコツになったスージーは粗大ゴミ置き場に連れて行かれます。
そこへ古い物を修理するのが、大好きな若者がやってきて、スージーなら直して走れると連れて帰ります。
部品を取替え、傷を直してスージーは再び元気良く走り出します。

先日僕が「死んじゃう」と話すと、小皇帝くんが「死んだらピカピカに直してあげる」と言ったというお話をしましたが、どうやらその数日前にこの「青い自動車」を読んであげたことが頭に浮かんだようです。
この「青い自動車」の絵本は、僕も小さい時に大好きで何度も何度も読み返した記憶があります。
我家には、元幼稚園教諭の人がいるので、絵本が豊富にありますが、この本はなかったので、小皇帝くんが生れて間もないころから本屋さんに行くと探していました。
ですが「青い自動車」のみで本になっているものを見つけられず、ディズニー名作選の掲載されているものを購入して来ました。

最近、小皇帝くんが夜寝るときは、僕が絵本を読んでいます。
毎晩自分で本棚から絵本を選んで、ベッドに運び1冊を読み終わると、とても良い子に眠りに就きます。
今まで何度も読んでいる「青い自動車」ですが、何度読んでも目を輝かせています。
自動車が大好きな彼が、この物語の影響で古い車を自分で直して乗る人になってくれたら、嬉しい話です。

Satori Satori

アーティスト:Flower Travellin' Band
販売元:Radioactive
Amazon.co.jpで詳細を確認する

今日は永遠のロックンローラー・内田裕也御大のお誕生日(1939年~)です。元々はロカビリー歌手だった内田さん、寺内タケシさんに気に入られブルージーンズのヴォーカルを務めていた時もあったが彼自身が歌いヒットした曲はない。フラワー・トラベリン・バンドをカナダで成功させたり、ワールド・ロック・フェスティバルを開催したり、長年続くニュー・イヤー・ロック・フェスティバルを開催したりとロック・プロデューサーとしての功績のほうがやはり大きなものだろう。内田さんのやり方には、賛否あるけれど僕は内田さんのロックを愛する姿勢は尊敬している。若い頃、僕の担当するバンドの演奏中に突然雨が降り出した。必死に楽器にビニールをかけていたら、ひとりスタッフとは思えない人が一緒にステージを走り回っていた、そして「おい、これで大丈夫か?」と声を掛けてくれた。内田裕也さんだった。内田さんは、そんな人なんだ。

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2006年7月 5日 (水)

『本質眼』を読む~第1回~

7月1日に面白そうな本が出版されました。
その本はこちら、

本質眼ー楽天イーグルス、黒字化への軌跡 本質眼ー楽天イーグルス、黒字化への軌跡

著者:島田 亨
販売元:アメーバブックス
Amazon.co.jpで詳細を確認する

仙台を本拠地にします、楽天野球団の代表取締役社長を務められます、島田亨さんの著書『本質眼』です。
帯にあります内容紹介には、

経営の本質を見極めれば、業種はもはや無関係である。
38勝97敗1分。新規参入した楽天イーグルスで初年度、不可能と言われた黒字化を達成。三木谷氏に「カルロス・ゴーン氏にも匹敵する」と言わしめたその卓越した経営力、ビジネス戦略のロードマップとは?
インテリジェンスを共に立ち上げた盟友・宇野康秀氏、当時の部下・藤田晋氏、ビジネスパートナー・三木谷浩史氏……志を共にした仲間との日々ーー。

と、あります。さぁ果たして楽天野球団はどんな戦略で、黒字化というプロ野球の常識を塗り替える快挙に至ったのでしょう。内容を吟味するとともに、僕なりの「仙台市民の目」で内容検証をしたいと思います。

なるべく本の進行に併せた形にしてみますが、一部前後するかもしれません。予めご了承ください。そして、あくまでも私見ですので「仙台市民」の総意などとも決して思っていただきたくないです。そして「僕自身はチームを応援している」という点。以上をご理解のうえ、ご一読ください。
さて第1回目は、第1章の「弱者の戦略」からですが、突っ込みどころの多そうな記事が多いので乱暴にならないように注意しなければ・・・

まず話は「初年度黒字は、球界へのメッセージ」というタイトルから始まります。僕はこの楽天野球団の姿勢をもの凄く評価しています。何故ならば、それが普通だと思うからです。プロ野球チームとはいえ、会社である以上は利益をあげていくことは、社会に於いて使命です。
旧来のチームが毎年何億もの赤字を出し続け、それを親会社の宣伝費などとして処理(具体的に経理上というのでなく、考え方として)していたこと、またそれを許していた構造や風潮というのは、凄く問題を感じる部分です。その宣伝費(という言い方にしますが)抽出のために、親会社はその分多くの利益が必要とされるわけで、結果それが商品などの料金に反映されたり、収めるべき税金が少なくなったりと本来野球とは関係のない部分での影響が大きすぎます。その為楽天野球団が目指した「黒字」というのは、非常に健全であるし、当然の行為と考えます。ただそのための“手段”が健全であるかどうかは、この本を読み進めるなかで非常に興味のある部分ですが、この出だしで行き成り?マークのつく表現に目を止めてしまいました。
それは楽天野球団がプロ野球参入をする経緯説明の文章にありました。

2004年、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブが、合併を前提に話し合うと発表。これを機に、プロ野球1リーグ制への流れが急速に進んでいきました。
周囲の猛反発にもかかわらず、オリックスと大阪近鉄との合併は一方的な形で決定されてしまいます。
9月15日、楽天が、パ・リーグへの新規参入検討を発表。翌日、かねてから大阪近鉄買収に名乗りを上げていた株式会社ライブドアベースボールも、新球団の加盟申請をしました。
「2リーグ12球団維持」を求める選手会は、翌年からの新規球団の参入をプロ野球機構に訴えるものの、満足のいく回答は得られず、ついに9月18日、19日の2日間にわたって、日本プロ野球史上初のストライキを決行します。
11月2日、都内のホテルでプロ野球実行委員会、引き続きオーナー会議が開かれ、パ・リーグへの新規加盟をしていた楽天とライブドアについて最終審査が行なわれました。
審査の結果、楽天の参入が正式に承認されたのです。

この記述のされ方に、ハテナ?と思いませんでしょうか。
これでは、まるで自分達がプロ野球で新規球団を設立しようと動いていた矢先に、近鉄買収で動いていたライブドア新球団設立の動きをした。という表現になっていませんか?

今となっては、「仙台良かったじゃん、ライブドアじゃなくて」という意見が殆どだとは思います。ライブドアがあれほどの企業だったとは、知る余地もなかったあの頃は、僕もライブドアによる新球団を支持していました。だから覚えているのですが、この島田さんの記述にもあるようにライブドアは、大阪近鉄の買収に名乗りを上げていました、しかし近鉄本社・球団から予想以上の抵抗にあったライブドアは8月19日には、買収が出来ないならば新規参入したい意向を発表しています。
この時点では、大阪に本拠地、名前にバファローズを使いたいなど、あくまでも近鉄消滅の後釜狙いの意向でしたが、9月8日にオーナー会議で合併が承認されたことを受けて、9月16日に株式会社ライブドアベースボールを設立したことと県営宮城球場をフランチャイズとして参加申請を行なったことを記者会見しています。

一方の楽天は、島田さんの記述通りに9月15日に参入を検討していることを発表はしているが、この際には本拠地は神戸に置くことで発表がされています。そして9月18日に、長野市の鷲澤正一市長にオリンピックスタジアムの本拠地としての使用を楽天関係者が打診していたことが判明、20日には三木谷オーナーと太田房江・大阪府知事との会談があり大阪ドームの本拠地使用が想定内であることが確認され、それに対し大阪府も出来る限りのバックアップをしたい旨が伝えられていました。
ところが22日の発表で、ライブドアと同じく宮城を保護地として24日に参入申請する発表があります、この時点では長野でも年間10~15試合をしたい意向を示すなど鷲澤市長に最後まで期待を持たせる策にでていたのが印象的です。

まぁ結果としては、プロ野球オーナー会議のお爺様たちの“年の功”でしょうか、“先見の明”でしょうか、ライブドアは落選、楽天が新規参入を許された形になりました。
しかし当時「後だしジャンケン」と罵られた楽天のやり方、それに至る経緯はやっぱり一行も伺うことができませんでしたし、知らない人が読んだらライブドアと楽天は同じスタートラインからスタートを切ったように感じ取れます。

しかし実態はどうでしょう?選手会がストライキに至るまで強固にプロ野球機構と戦ったことは、楽天の参入表明ではなく、ライブドア・堀江氏による、大阪近鉄買収の名乗りから始まる一連の動きが世論を味方につけ、実行できたのではないでしょうか?
勿論、例の「たかが選手が」発言がターボのように作用したこともありますけれども、どれほどライブドアが新規参入の道を作り上げ、そこで自分達が商売をさせてもらっているのか、少し不満の残る表現です。

初っ端からこの調子です。次回は「球場使用料で赤字を出す時代は終わった」というお話について進めます。
今日はここまで。

イムジン河 イムジン河

アーティスト:ザ・フォーク・クルセダーズ
販売元:アゲント・コンシピオ
発売日:2002/03/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

作家・作詞家の松山猛さんが、朝鮮学校との喧嘩が絶えないことへの解決にサッカーの試合を提案しに京都・銀閣寺の近くにあった朝鮮中高等学校を訪れた時に、聴こえてきたのが『イムジン河』だった。数年後、フォークルの加藤和彦さんに歌うことを提案した。当時ベトナムは戦禍に覆われていた、戦争により人が傷つき、文化や暮らしが破壊され、国家の分断などもうごめんだと、平和を祈って、願って詞が書かれた。1968年デビュー曲『帰ってきたヨッパライ』に続く第二弾として用意されていた曲だが、朝鮮総連は朝鮮民主主義人民共和国の歌であることなどを表記することを求めた。一方、韓国は日本国内で北の歌が流行ることを懸念し、レコード会社に圧力をかけ発売禁止に持ち込んだ。34年後の2002年にようやく発売されたCDです。北と南を分断するように流れる『イムジン河』を、北の人達は人間関係にすらも築いてしまった。c/wの『悲しくてやりきれない』のサトウハチローさんの詞のように空を見上げてしまう朝からのニュースだ。

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2006年3月10日 (金)

路地裏のこと考えていたら

ここ数年、読書量が減っていた。
その最大の原因が通勤をしないこと。東京に住んでいた時には、片道1時間以上の時間を電車の中で過していたので、本を読むことが特別のことではなかった。
会社の帰りに本屋へ立ち寄る機会も、毎日2~3軒には立ち寄っていた。
それが、こちらへ来て自宅で仕事をするようになってからは、「本屋へ行く」とシフトレバーを操作しないと、足が向かない。
おまけに子供が生れてからは、「本を読んでいる暇があったら、子供と遊んで!」という奥様からの要望もあったし、自分もそうだと思っている。

でも、僕の中にいる『読書の虫』が動き出すときは、当然訪れる。
動き出したときに、最近はシフトレバーを「本屋」へ入れずに、「図書館」へ入れるようにしている。
会社勤めをしていると、図書館の開館時間に都合が合わず、なかなか利用をしないが、今の僕のような生活だと、朝食をすませ、図書館へ行くなんてのは、丁度良い。
おまけに自宅の近くに便利な図書館も存在する。
(→sendai-saiwaiさんの『図書館カウンター』)

図書館では、書籍ばかりかCD、カセット、ビデオも借りられるが、最近はDVDの貸出も始まった。TSUT○Y○へ行く前に、目的のものがないか一応はチェックする。
子供の見るビデオは大概、図書館のもので用が足りる。
そして、子供が生れて以降は、家の中から僕の使っていい収納スペースが減ってきていることも、図書館選択の一因にもなっている。
(勿論、一番の理由は金銭的なことがあげられますが)
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最近借りた一冊に、泉麻人さん『東京マニアック』がある。

泉さんの作品は、東京の街の様子と、それに蠢くどこにでもある人間模様が描かれているケースが多いが、僕は泉さんの作品にでてくる東京が好きだ。
「東京は人の暮らす街じゃない・・・」という思いもあって、仙台に住まいを移した人間が言うと可笑しいだろうが、昭和の薫りがする東京は、好きである。

「泉さんの描く東京の路地裏には、子供たちの声が聞こえてくるよな」と考えていたら、ここ仙台でも路地裏ばかりか、公園や広場からも子供の声なんて聞こえなくなっていることに気がついた。

最近は、物騒な事件が多いことから、学校から帰ってから外で子供たちが遊ぶことを禁じている地域もあると耳にした。
磯野家のカツオくんのように、学校から帰ったら、親や姉から「宿題は?」と言われるよりも早く、バットとグローブを持ち出すことに賭けている子供は居るんだろうか?

話が外れるが、宮城県の村井知事は、スケート・リンクへの公的な支援にはあまり乗り気ではないが、宮城にアニメ産業を誘致するという件には積極的に動いている。
僕はスケートリンクの経営難は、レジャーの多様化が原因だと思っていたが、奥様に「それだけじゃないよ」と諭された。
「いま子供たちは『体を動かす遊び』から離れて入っている、みんなコンピューターゲームの虜なんだ」と・・・確かにそうである。
路地裏から子供の声が消えたのは、少子化や遊べなくなった路地のせいではない。
子供たちは家から出てこないんだ。
これで良いのだろうか?
いや、良い筈がない!
子供は遊びの天才なんだ。コンピューターに与えられたプログラムを動かして満足していては駄目なんだ!
子供たちは、不便の中から遊びを見つけ楽しむんだ。その遊びの中から、野球選手になりたい、サッカー選手になりたい、スケート選手になりたい・・・・夢を描いて欲しい。

だから村井知事さん、アニメ産業というオタク産業よりも、アイスリンクの存続に目を向けていただいたほうが子供のためにはなるんじゃないでしょうか?

※アニメ産業がオタク産業という表現に不適切なことも感じましたが、子供を外に出したい意味で、そう表現しました。アニメはとても優秀なひとつの文化と考えています。不快な思いをする方がいましたら、ごめんなさい。アニメを攻撃する気は毛頭ございません。

The History of Shogo Hamada―Since 1975 Music The History of Shogo Hamada―Since 1975

アーティスト:浜田省吾,愛奴
販売元:SE
発売日:2000/11/08
Amazon.co.jpで詳細を確認する


”路地裏”といえば浜省さんでしょう!
名古屋にはこんなお店もあります
→コチラカラ

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