2007年3月23日 (金)

うたのちから

Kyumeiboat_1 2月9日午前10時頃マグロはえ縄漁船「幸吉丸」が「フェリーたかちほ」に当て逃げされ、乗務員ら3人が3日後の12日午前10時20分に発見されるまで小さなテント型救命ボートで6個の乾パンを分け合って漂流を続けたというニュースがありました。
「当て逃げ」という卑劣な行為と、大型フェリーの安全運行に首を傾げる体制などに怒りを持つとともに、人間の生命力に感動した事故でありました。ご記憶の方も多いと思います。

仙台に所縁のあるミュージシャンで坂本サトルさんという人がいます。青森県南部町の出身で東北大学経済学部に在学中の仙台在住時代にやっていたバンド活動が注目を浴びメジャーデビューした人です。僕は東京にいた頃からの付き合いで、結婚式にも仙台まで足を運んでもらったひとりです。

この一見なんの関係もなさそうな海難事故と一人のミュージシャン。
幸吉丸の船長・是沢幸広さんに勇気を与えていたのは、坂本サトル氏の「うた」だったという感動的な話が伝わってきたので紹介させてもらいます。

まずは2月23日付西日本新聞の記事から、

絶対帰ってベース弾く 宮崎・漁船当て逃げ 生還の是沢船長 感謝のステージ

 貨物船に当て逃げされて海に放り出され、丸3日間、救命ボートで漂流した宮崎県日向市漁協所属「幸吉(ゆきよし)丸」の是沢幸広船長(48)=日向市細島=が3月10日、同県門川町であるシンガー・ソングライター坂本サトルさんのライブコンサートでバックバンドとして出演する。是沢さんは地元バンドのベースギター奏者。事故はプロとの初共演を間近にしての出来事で、漂流中は演奏予定の曲を心の中で繰り返して自らを奮い立たせたという。当日は、生きている喜びと、お世話になった人々への感謝の思いを込めてステージに立つ。

 ビートルズなどにあこがれ、中学2年でギターを始めた是沢さんは約20年前、幼なじみらとロックバンド「カスタニア」を結成。坂本さんが出演する「かどがわハートフルライブ」は地元有志が12年前に始め、是沢さんも前座出演するなどしてきた。

 乗組員ら3人で漂流した3日間。夜、ボートの中は凍えそうなくらい寒く、2人の顔が見えない暗闇の中で言い知れぬ不安に襲われることもあった。そんなとき、頭に浮かんだのが坂本さんの曲「アイニーヂュー」だったという。

 理不尽なこと、つらいことがあっても「頑張れ、頑張れ、世界にはあなたが必要なんだよ」と、優しく鼓舞する歌詞だった。心の中で耳を傾けていると、自然とベース伴奏のアイデアが頭に浮かんだ。「せっかく思い付いたベースライン。絶対、帰って演奏する」。そう誓った。

 今月12日に救出され、宮崎大付属病院に入院。3日後に退院し、自宅で手にしたベースギターの感触は格別だった。

 「事故に遭い、多くの人に心配をかけた。感謝の気持ちを込め、一生懸命ステージを盛り上げたい」という是沢さんは、連日、練習に励んでいる。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/20070222/20070222_060.shtml

坂本氏が知り合いだから尚更に嬉しいということもありますが、やはり音楽、うたが人に勇気を与えていたことに凄く感動をおぼえます。
そして3月11日の同じく西日本新聞には、笑顔で演奏をする是沢船長の姿が紹介されました。

「生還に感謝」曲に乗せ 転覆漁船 是沢船長 ライブでベース熱演

 貨物船に当て逃げされ丸3日間、救命ボートで海上を漂流した宮崎県日向市漁協所属「幸吉(ゆきよし)丸」の是沢幸広船長(48)が10日、同県門川町であったシンガー坂本サトルさんのコンサートにバックバンドのベース奏者として出演。「捜索したり、心配して涙を流したりしてくれた人に感謝の気持ちを伝えたい」と、力強い演奏で会場を沸かせた。

 是沢さんは中学2年でギターを始め、約20年前に幼なじみらとロックバンド「カスタニア」を結成。坂本さんとの共演は、コンサートを主催する地元有志の提案で実現したが、練習を始めた矢先の2月9日、操業中の鹿児島県・種子島沖で当て逃げ事故に遭った。

 「ガンバレ、ガンバレ、この世界にはあなたが必要」。漂流中、坂本さんの曲「アイニーヂュー」が頭に浮かんだという是沢さん。ステージでは「この曲を心の中で繰り返し、気持ちを奮い立たせた」と振り返り、再び音楽ができる喜びをかみしめるようにバンド仲間と目を合わせたり、目を閉じたりしながら、3曲を演奏した。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/20070311/20070311_002.shtml

坂本氏の音楽をここ仙台では、東北楽天ゴールデンイーグルスの応援歌や全国でも有名な七夕祭りの前夜祭である花火大会のテーマソングを歌っていたりと触れる機会があるのですが、ほかの地域では少し露出が少なく感じています。でもこの船長さんのように彼の素敵な歌を胸に日々暮らしている人がいることも凄く嬉しいことでした。
因みに今日のタイトル「うたのちから」は坂本氏がやっているDate FM(エフエム仙台)の番組「坂本サトル~うたのちから~」から拝借しました。

坂本サトル氏のことをこの歌がキッカケで知った人も多いでしょう。
天使達の歌 / 坂本サトル


SAKAMOTO SATORU WEBは→ココ
坂本サトル生誕40周年記念ライブ特設サイトは→ココ

プライド プライド

アーティスト:坂本サトル
販売元:ラップランド
発売日:2003/03/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「アイニーヂュー」収録アルバムはこちらです。

←ヨロシク

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2007年2月20日 (火)

SONG FOR MEGUMI

日曜日行なわれたお笑いのライブのため、土曜日の午後から郡山まで行ってきました。ライブのほうは仕事を忘れて腹抱えて笑わせてもらったりして大満足の感じ。なかでもハイキングウォーキングにはきてしまいました。「Mr.スズキックスのスーパーイリュージョン!」良いですよ~!
ライブが終り仙台へ戻って、制作スタッフで食事をしてから帰宅したので、日曜日には新聞に目を通していませんでした。月曜日の朝、日曜日の新聞にも目を通すと、社会面の隅っこにあった記事に目を奪われました。(読んでいたのは河北新報ですが、同じ内容の記事を産経新聞から拝借)

ピーター・ポール&マリーのポールさんが「めぐみさんの歌」 

 「花はどこへ行った」などのヒット曲で知られる米国の著名フォークグループ「ピーター・ポール&マリー」のメンバー、ポール・ストーキーさん(69)が、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=失跡当時(13)=にささげる「SONG FOR MEGUMI」を作詞・作曲、CDが日本で21日に発売される。

 17日にPRのため来日。滞在中にめぐみさんの父滋さん(74)と母早紀江さん(71)をライブに招待し、曲を披露する。CDの収益は横田夫妻の活動のために寄付するという。

 ストーキーさんは昨夏、めぐみさん拉致をテーマにしたドキュメンタリー映画「アブダクション(拉致)」を見て横田夫妻の活動に感動。「めぐみさんのために」と曲作りに取り組んだ。

 歌うのはストーキーさん自身。歌詞には、中学生だっためぐみさんを奪われた夫妻の悲しみや、救出への強い願いが込められ、日本語で「あなたはどこに」「風の中に あなたの声が 聞こえます」とめぐみさんに語りかける部分もある。

 「この曲で横田夫妻が少しでも気持ちを強く持ち、救出を求める世論が広がることを願っている」とストーキーさん。滋さんは「とてもうれしい。全世界に『拉致問題の解決が必要』とのメッセージが発せられることになる」と話している。

 ストーキーさんは5月に東京でめぐみさん支援コンサートも開く予定。

 CDやコンサートの詳細は、インターネットのホームページで。
http://www.paul-sanjapan.com/

ピーター・ポール&マリー、通称PPM。懐かしい名前を聞きました。若い人には馴染みのない名前かもしれません。僕の世代の人だって彼らの歌を好きで聞いていましたという人は少ないかもしれません。僕も彼らの歌のことキッチリ紹介できるほど聞きこんでいるわけじゃなく、1981~2年頃に来日をした際の日本武道館で行なわれたコンサートに足を運んだことがあるくらいのものです。
ロック・コンサートばかりに足を運んでいた僕には、お行儀よく歌を聴くそのコンサートが新鮮なもので、またコーラスの美しさに感動をしたのも良い思い出になっています。


←クリックして『パフ』を聴いてみて下さい。
PPMというとベトナム反戦歌の代表曲『花はどこへ行った Where have all the flowers gone?』やボブ・ディランの『風に吹かれて Blowin' In The Wind』が有名ですが、僕は『パフ Puff the Magic Dragon』に魅了されました。

大声で「めぐみさんを返せ!」と叫んでみても、救出を訴えて署名運動をしてみても(決して無駄なこととは思いませんが)北朝鮮の国家的犯罪を世界に伝えることはなかなか出来ませんが、こうしてポール・ストーキーさんが歌うことで今まで知らなかった国々の方へ事件を伝えることが出来、何よりも横田めぐみさんが再び日本の地を踏めることが1日でも早く実現できればと思います。
そしてそのことは、横田めぐみさん以外にも沢山いらっしゃる拉致被害者の救出、帰国に繋がることと信じます。この曲のことを伝えたNHKのニュースを貼り付けておきます。是非ご覧になってみて下さい。

仕事で帰宅が遅くなってもベッドで眠る小皇帝くんの寝顔を見られるから、どんなに辛いことがあっても頑張っていられる。でもある日突然、ベッドの中から彼の温もりを奪われたら気が狂ってしまうかもしれない。
娘の帰りを30年間待っている。気の遠くなるような話だ。

HELP! - 4人はアイドル HELP! - 4人はアイドル

アーティスト:ザ・ビートルズ
販売元:東芝EMI
発売日:1998/03/11
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2月20日は「旅券の日」。1878年外務省布達第1号「海外旅券規則」が制定され「旅券」という用語が初めて使用されたことに因み、1998年に制定されました。それまでは「御印章」「海外行免状」と呼んでいたそうです。ということで『涙の乗車券』なわけだけど、このジャケットで4人のスタイルは映画で『涙の乗車券』が流れるスキーのシーンでのスタイルです。原題のTicket To Rideは、イギリスのワイト島にあるライドRideというフェリー港への切符にかけた洒落なのです。横田めぐみさんが、1日も早く日本帰国の嬉し涙の乗車券を手にすることを祈念しています。

←ポールさんへの拍手代わりにポチッ!

 

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2007年2月17日 (土)

アクセス解析

このココログ、ココログフリーという無料で立ち上げられるコースでの作製である。一番大きな理由はニフティーの会員でないということが大きな理由だが、これで不便もしていないし(本当は会員に設定されているコースのほうが、スパムに対する策が違うようではあるが)、何よりブログにお金を掛けようなんて気がなかったからなのだが。
それで以前はこのココログフリーの場合、アクセス解析というのがせいぜい時間帯により何人来ましたよくらいの情報しか得られなかったが、少し前からこのコースも結構細かい解析を見ることが出来るようになりました。

この解析を見ていると世間がどんなことにアンテナを向けているとか、ここに来る人たちが何を求めてやって来ているかなんてのが知ることが出来て面白いなと時々眺めています。
この1週間でもっともアクセスが多い「ワード/フレーズ」というものは圧倒的にPOLICEの再結成に関連するもの。「POLICE 再結成」であったり、「ポリス 再結成」であったりがランクに数種類登場し、そもそも「POLICE 再結成」が1位であるのに加え、相当な数があります。
それが過去4ヶ月というランキングになると、1位になっているものが音楽ものではなくなります。何かというと稲葉篤紀選手、僕が大好きな日本ハムの選手ですが全体の2.7%を締め2位のワード/フレーズが1.3%とということを考えると圧倒的に多いことが分かります。

そうしたアクセス解析で、「意外にこんな情報を探している人多いのだな」と感心したのが、今年の僕と奥様の誕生日記念に訪れたステーキ屋さん「バンガイズ」を検索して辿り着いたものと「黒が印刷されない」というワード。
後者はプリンタの修理の対応を記事にした際のものに辿りついていることだろうが、何れにしてもこれらの検索で辿り着いた殆どの方からコメントを頂いた験しはないので、恐らくは期待外れの記事だったのだろうなと思います。
ただ見に来てくださった方々の期待には応えられなくても、「阿佐ヶ谷団地」のように自分の思い入れをタップリに込めたものが検索の上位にいてくれるのは嬉しかったりするものです。

そんな中、過去4ヶ月の検索で2位であり、過去1ヶ月に関しては阿佐ヶ谷団地と並んで1位になっているワード/フレーズが『アホな放尿犯』なのですが、そんなにも多くの方がそれをキーワードに辿りついているのに、全く期待外れの記事しか書かれていない!
この『アホな放尿犯』は、以前に小皇帝くんがベガルタ仙台の「コブラ」という応援ソングを「オイラとこいよ~ベガルタお前も~」という部分を「ゴリラとこいよ~」と歌うという記事を書いた際に、まるでタモリ倶楽部の空耳アワーのようだと記し、空耳アワーのなかで『アホな放尿犯』が好きだと書いただけなのだが、あまりに多くの方がそれを頼りに訪れる。
そこで!わたくし探しました!
ありました!

今日はそれで笑ってもらいましょう!
『アホな放尿犯』

You Tubeで空耳アワーのお気に入りネタを探すのって“オチ”のワードで検索がかからないのが殆どなので、ひたすら見ていくしかないのが辛いところで、ググッて見つかればってことなんでしょうね。
そこで下世話なタイプのものですが、大サービスで「名作」をもう一点アップさせておきましょう。
『雪見オナニー』

空耳アワーネタをお探しの方、ご満足頂けましたでしょうか?
僕自身は、これ以外に『大仁田』を探しています。見つけられた方は是非ご一報下さい!

   

←笑った人は必ずポチッ!

マジカル・ミステリー・ツアー マジカル・ミステリー・ツアー 

アーティスト:ザ・ビートルズ
販売元:東芝EMI
発売日:1998/03/11
Amazon.co.jpで詳細を確認する 

1967年2月17日、ビートルズは『Penny Lane / Strawberry Fields Forever』という両A面のシングルをリリースする。この組み合わせリバプールへの思い入れタップリの楽曲のカップリングで、ビートルズ史上最高のシングルとも言えるものであるにも関わらず、デビュー以来初めて1位を獲得出来なかったシングルである。トップの座を阻止したのは、エンゲルベルト・フーデンバックというキャバレー歌手だった。

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2007年2月 3日 (土)

『超個人的声質ランキング』・・・・YouTube編

ブログを始めて暫く経ったときに、いつもお世話になっている「感動創造」さん(→こちら)から“バトン”というものを受け取った。そのバトンが『超個人的声質ランキングバトン』というもので、音楽好きの僕としては熱の入った仕上げになり、4月29日にアップした(→こちら)わけだが、ここ最近のYouTubeの充実ぶりでどうやらこのランキングをYouTube貼り付けで発表できるようなので、今日は週末で見てもらえる方も多いかと考え、いってみようと思う。
僕から「バトンをお願いします」とは、言いませんので企画が気に入った方はご自由に拾って行って下さい。では、楽しい週末のお手伝いになれば幸いですが。

第10位・・・マット・モンロー(England, 1932 - 1985)
Matt Monro
『野生のエルザ』Born free

1966年映画「野生のエルザ」のエンディングを飾った作品です。63年(日本公開64年)007映画「ロシアより愛をこめて From Russia with Love」(邦題:007 危機一髪)のテーマで声を聴いた方も多いと思います。詳しくは公式ページ(→こちら)※Only English

第9位・・・ミッシェル・ポルナレフ(France, 1944-  )
Michel Polnareff
『愛の願い』Love Me

1966年デビュー直後のヒット曲、トレードマークのモジャモジャ頭にサングラスがないポルナレフ。こっちのほうが格好良いと思うのだが・・・。

第8位・・・スティーヴィー・ニックス(America, 1948-  )
Fleetwood Mac
『リアノン』Rhiannon

フリートウッド・マックの黄金期と呼ばれる時代の幕開け、1975年「ファンタスティック・マック」の1曲。YouTubeには興味深い映像が多いが、これはBookmarkをして何度も見ている最高にお気に入り作品。この愛くるしい姿の何処からこれほどのパワーの歌が生れてくるのだろう!

第7位・・・フェリックス・パッパラルディ(America, 1939-1983)
Mountain
『想像されたウエスタンのテーマ』
Theme from an Imaginary Western

実は今回の企画、この映像を発見したことにある。この曲をたくさんの人に聴かせたい、思い出してほしくてやっているところも大きい。勿論、ほかの作品もそうなのだけど、特に思い入れの大きい1曲。1970年「勝利への登擧 Climbing!」からで、映像も恐らく70年初頭のものだと思う。

第6位・・・トミー・ボーリン(America, 1951-1976)
Tommy Bolin
『Dreamer』『Savannah Woman』

今回残念ながらギターを弾いている姿のトミー・ボーリン映像は在ったのだが、歌う姿は発掘できなかった。これだけ数々の映像が投稿されているのに未だないのだから本国アメリカでも貴重なものなのだろう。仕方がないので「声」を聴いてもらうためにお気に入りの2曲がセットになったものをお届けします。因みに1974年レコーディングです。

第5位・・・ジョン・アンダーソン(England, 1944-  )
Yes
『シベリアン・カートゥル』Siberian Khatru

73年に発表された3枚組みのライブ・アルバム「YESSONGS」を初めて聴いたときの衝撃は凄かった。なかでも「燃える朝焼け」のスピード感溢れる演奏に心奪われたものだが、ストラヴィンスキーの「火の鳥」を使ったSEに続いて始まるオープニングのこの曲にも間奏では「ジャングル大帝」のようなジョンの声にも興味が涌いたものだ。映像は少しあとの79年のもの、当時は絵がない分、多くの想像をしたのが楽しかった。

第4位・・・スティーブ・ペリー(America, 1949-  )
JOURNEY
『時への誓い』Faithfully

1983年「フロンティアーズ」に収められた、ツアーに出て恋人に会えない淋しさを綴ったジョナサン・ケインの曲だが、2年にも及ぶESCAPEツアーが生んだ曲とも言えるだろう。映像は「AMERICAN TOUR 83」というビデオのエンディングを飾ったものだが、チャーター機やリムジンに乗るメンバーと対象的に、雪や氷に覆われた道を走るツアートラックやバスで眠るクルーたちを描くところが彼らのスタッフに対する想いを感じる。

第3位・・・スティーヴ・マリオット(England, 1945-1991)
Small Faces
『Lazy Sunday』

1965~69年をスモール・フェイセズ、69~75年をハンブル・パイと何れも中心メンバーで活躍した。小柄な体に似合わぬパワフルなヴォーカルが勿論一番の魅力だが、ショーケンも真似た彼の髪形などファッションも抜群に格好良かった。そしてソング・ライティングに於いてもだ。彼の命を奪ったのは寝タバコが原因だった、悔やまれる。

第2位・・・ジョージ・ハリスン(England, 1943-2001)
George Harrison
『while my guitar gently weeps』

言わずと知れた元ビートルズ。僕を良く知る人は、この人がNo.1でないことを不思議がるだろうが、この辺りの順位なんてとってつけたものなので気にしないで欲しい。映像はチャールズ皇太子主催の「プリンス・トラスト87」のものだろう、エリック・クラプトン、リンゴ・スター、ジェフ・リン、フィル・コリンズなどがバックを務める豪華なものは例えジョージが生きていたって日本では見る事が出来なかっただろう。ロックの楽しさを痛感することのひとつだ。

第1位・・・リンゴ・スター(England, 1940-  )
Ringo Starr
『With a Little Help From My Friends』

ジョージの映像と同じく87年プリンス・トラストのものを選びました。コンサートのラストを飾っているのですが、このロックおじさん達の楽しそうなステージ最高です!リンゴをNo.1に置きたくなる理由はこんなところです。チャールズの楽しそうな姿もありますね!

如何でしたか?
この10曲以外にも紹介したいものは多々ありますが、今日はこんなところです。昨年のこのバトンに参加した方、やってみませんか?!ねぇ感動さん!

BUG BUG

アーティスト:デイヴ・デイヴィス
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2003/02/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2月3日はKINKSのギタリストでデイヴィス兄弟の弟、デイヴ・デイヴィスの誕生日(1947年~)。彼らの音楽をH/Mファンはあまり聴いていない印象があるが、スティーブ・マリオットとともにお勧めしたいものである。特にKINKSよりもデイヴのソロワークのほうがお勧めです。

←それなりに疲れました。ポチッっと。

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2006年10月14日 (土)

アロハ・フロム・ハワイ

1973年1月14日、ハワイのホノルル・インターナショナル・センターからエルビス・プレスリーのチャリティー・ショーが世界中に衛星生中継された。
日本では午後7時に放送され37.8%の視聴率をあげている。フィリピンでは92%、香港では80%の視聴率を稼ぎ、アメリカ、カナダ以外の地でコンサートを行なわなかったプレスリーへのアジアの関心の高さを示している。
この中継、中学生だった僕は下北沢にある母の実家で見ていた。母の兄弟で一番下の妹(30歳近く離れているから妹なのか?という感じなのだが)が、高校生だったので色々エルビスについて解説してもらいながらTVを見た。
エルヴィス・プレスリー登場!
エルビス・プレスリー、今更説明不用だろう。
『キング・オブ・ロックンロール』として、チャック・ベリーやリトル・リチャードらとともにロックンロールを世界に広め、ビートルズやヤードバーズなどに多大な影響を与えた神様だ。
だが、この「アロハ・フロム・ハワイ」のセットリストは、バラードが主体で、激しいリズムの曲が少なく当時の僕には、少し大人過ぎるショー構成にガッカリしたものである。

エルビスは、1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレースランド(今年7月に小泉純一郎氏が訪問した場所)で42年の短い生涯を閉じているが、世界中に彼の物真似をする人がいるせいか今でも目撃情報があとを絶たず、また身分証に記されたミドルネームAronと墓に刻まれた名前が違うことから“生存説”というのが叫ばれ続け、日本でも時々「東スポ」の紙面を賑わせることもある。

最近、そんな噂が絶えないエルビスの映像が発信されています。
http://www.bbc.co.uk/radio2/elvis/

アロハ・フロム・ハワイの映像をメインにした合成映像なわけですが、こんなコラボレーションが見られることがあったら最高ですね。でもエルビス以外にも、あの世に逝ってしまった人がいますので、エルビスが万が一生存していても叶わない夢です。

Drums・・・・キース・ムーン(1978年9月7日没)
Bass ・・・・・シェリル・クロウ
Guitar・・・・ジミー・ペイジ & ノエル・ギャラガー
Piano・・・・・スティービー・ワンダー
Vocal・・・・・マーヴィン・ゲイ(1984年4月1日没)
B.Vocal・・・シュガーベイブス
エルビスがメンバー紹介しているのがナイスですが、何より選んだメンバーが良いですね!最高です。
特にシェリル・クロウとノエルを選んだところにセンスを感じますね。

BBCセッションズ BBCセッションズ

アーティスト:ザ・フー
販売元:ユニバーサルインターナショナル
発売日:2003/11/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「BBCセッション」というシリーズが数々出ていて、結構どれも秀作が多いが、このThe Whoのものは、そのなかでも更に良い。勿論数々の名曲が奏でられているものは必聴だが、「♪Talking 'bout my favorite station」と詩が書き換えられている『MY GENERATION/RADIO 1 JINGLE』が良い!日本のロックバンドがこういうことやると「あいつら魂売ってるよな」とか、非難するロック・ファンがいるが僕は決してそう思わない。だってフーもやっているんだぜ~!

BBCとNHK似ているようで、随分違うと思う人。特に“ぐ~チョコランタン”より“テレタビーズ”のほうが好きな人クリック!

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2006年9月14日 (木)

津軽三味線の天才

この前の週末9月9~10日、ここ仙台の街は音楽で溢れていた。今年で16回目を迎えた「定禅寺ストリート・ジャズ・フェスティバル」(→公式サイト)が行なわれていたからだ。
「ジャズ・フェス」と呼ばれ親しまれているが、ジャズに特化したイベントではなく、ハードロックのバンドもあれば、ゴスペルのチームもいる、とにかく音楽が好きな人達が集まって街のあちらこちらに用意されたステージでパフォーマンスが繰り広げられる。今年は聞くところによると651のグループが仙台や宮城に限らず、東北どころか全国から集まって賑わったようだ。
僕の家族も友人がステージに上がるというので出掛け、同じく応援に来た旧友達と久々に言葉を交わし、楽しい1日になったようだ。

そんな音楽の溢れ、音楽好きが集まるときに、自分の住む街を僕は一度も歩いたことがない。人によっては「その日はジャズフェスで忙しいですよね」なんて、僕がジャズフェスに参加しているだろうと前提にお話をはじめる人もいるが、去年まではこの日に仙台に滞在していたことがない、正確には一度あったのだが、ジャズフェスの開催期間中毎日、仙台から少し離れたSUGOへ通っていた。
今年は遂に、ジャズフェスの賑わいをこの目で確かめることが出来るかと思いましたが、又も横目で通過するだけになってしまいました。
では、何処で何をしていたのかというと、10日の日曜日は既に携帯電話から投稿した「パーティー出席」という草臥れた顔を晒した記事が示すように、パーティーに出席していました。

仙台に浅野祥くんという、平成2年生まれで16歳の市内の高等学校に通う少年がいます。この少年、今年の5月青森県弘前市で行なわれた「津軽三味線全国大会」で三連覇という快挙を成し遂げました。
この快挙で仙台市から「杜(もり)の都・市民金メダル」が贈られたことやNHKのTV番組「にんげんドキュメント  ~僕だけのじょんから節」という全国放送番組の特集などで取り上げられたのでご存知の方も多いと思います。
これを祝う「浅野祥くん 津軽三味線全国大会三連覇記念祝賀会」が市内のホテルで開催され、この祝賀会にお招きを頂いたので出席をしてまいりました。

2006津軽三味線全国大会ライヴ盤 2006津軽三味線全国大会ライヴ盤

アーティスト:コンクール,佐々木憲一,田中耕一
販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:2006/08/30
Amazon.co.jpで詳細を確認する


祝賀会は、前の仙台市議会議長を務められた鈴木繁雄さんを代表として、元衆議院議員・今野東さん、仙台の顔・さとう宗幸さん、仙台で人気No.1パーソナリティー本間ちゃんこと本間秋彦さん、民謡歌手の庄司恵子さん、民謡有住会会主・有住兆幸さん、秋田民謡小田島会宗家・小田島純子さん、三弦小田島流家本・小田島徳旺さんらの皆さんが発起人となって開催されました。
僕のようなロック馬鹿には、場違いに感じる方もいるかと思いますが、師匠である小田島徳旺さんの30周年記念コンサートに参加させて頂いたご縁で、今回の祝賀会にもお招きを頂戴しました。とても光栄なことです。
2005津軽三味線全国大会(ライヴ盤) 2005津軽三味線全国大会(ライヴ盤)

アーティスト:オムニバス,佐々木憲一,田中耕一
販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:2005/07/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

(↑昨年の大会ライブ盤のジャケットでは、大きくクローズアップされてます)
浅野祥くん高校2年生、今年甲子園を沸かせた仙台育英高校の佐藤由規投手、日大山形高校の阿部拓也投手の二人と同じ時間を仙台で過していることに、何か不思議なものを感じます。音楽とスポーツ活躍の場は違いますが、今後も目を離せないなと感じています。

祥くんはおじい様の影響から、物心ついたときには三味線を弾くポーズをとりながら民謡を唄っていたと言いますから、我家の小皇帝くんがアンパンマンギターを手にミッシェル・ガン・エレファントを唄っているのと比べると随分な環境の違いを感じてしまいます。
3歳から和太鼓を習い始め、5歳で本格的に始めた三味線、なんと8歳の時、平成10年には史上最年少で津軽三味線全国大会の15歳以下が集まるD級に出場してしまいます。そして出場だけならまだしも、その大会で優勝を飾っているのです。
当時のことは僕は知らないのですが、関係者や津軽三味線ファンの方々は驚いたのでしょうね。この年は「津軽三味線全日本金木大会」の小学生の部でも優勝(ここから三連覇)を飾り、ここから「津軽三味線全国大会」では、毎年階級を上げながら各部門の優勝を浚い、平成16年には遂に最高峰一般A級の王者に昇りつめました。
過去にこの一般A級三連覇を成し遂げた方は4人いるそうですが、16歳での達成は勿論、史上最年少の快挙です。

民謡の世界に身を置く天才少年、あどけなさが残る爽やかな笑顔、通う学校は市内の名門校・・・なにか真面目な少年像を描いてしまいますが、この祝賀会で祝辞に立った小学生時代の恩師によると、祥くんがいたクラスが荒れた時期があった時、クラス担任と「荒れたクラスを鎮めるには、勉強・スポーツでトップをいく祥を鎮めることが近道だ」と話し合ったというのですから、結構やんちゃなところも持っているようで、そんなところも彼の魅力に繋がっているのかなと感じずにはいられません。

祝辞といえば、この日もう一人立たれた民謡研究家の飯田晴彦さんによりますと、津軽三味線とジャズには密接な関係もあるようで、吉田兄弟、木之下真市、上妻宏光らの若手が台頭することも頷ける津軽三味線の魅力もあるようですが、本来の唄の伴奏が出来ない奏者も多くなってきたという声も耳にします。
唄の伴奏など基本もこなし、新しい音楽世界にもチャレンジする浅野祥くんには、この飯田晴彦さんをはじめ登壇された皆さんが口にしたのが「この三連覇は通過点」「これからは浅野祥の世界確立を」ということでした。
16歳という若さで、明日の日本の民謡界の期待を一身に受けるのは大変なこととも思えますが、全国大会でプレッシャーを感じたこともなく楽しんで挑戦できていた祥くんには無理なこととは思えないもので、こんなところは「ハンカチ王子」を見るのと同じように感じるものなのです。

この日何曲かの演奏が披露され、祥くんの才能にも劣らぬ魅力を見せる妹・咲千絵ちゃん(中学2年生)の踊りなど楽しいものになりましたが、この日会場にいらした松田隆行さん、「神の手」と呼ばれる達人・木乃下真市(木下伸市)さんの「津軽三味線全国大会三連覇」達成者と祥くん3人で演奏された連弾は圧巻でした。
東北の地・仙台に住み、こちらの文化に少しづつですが触れる機会を得て、益々嵌っている今日この頃であります。

→浅野祥くんの公式サイトはこちらへ

Sheer Heart Attack Sheer Heart Attack

アーティスト:Queen
販売元:Hollywood
発売日:1991/03/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

木乃下真市さんの三味線を生で聞くのは初めてだった。体から発せられるオーラのようなエネルギーにも圧倒されたが、三味線の音の大きさにも驚かされた。その演奏中に僕の頭を過ぎったのがQUEENのBRYAN MAYによる「BRIGHTON ROCK」のギターソロ。ベースになっている音楽は違うのだが、何か通じるものを感じた。「天才の音」で片付けるわけにはいかない「何か」を。

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2006年9月 1日 (金)

頭から離れないメロディー

ふと目にしたCMで流れていた曲が一日中、頭の中でグルグルと廻っていることがないですか?誰でもありますよね。
そうかと思うと、何のきっかけがあるわけでもなく、頭の中にメロディーが流れはじめることもありませんか?我家では、この症状が出たときにメロディーを口ずさむと「あ!ちょうど私も同じ曲が頭に浮かんだところだった」と奥様が声を挙げることがあり驚きます。
この状態は何なのでしょう?
風が奏でるメロディーでも無意識に聴いていて、それから連想される曲を思い描いたりするのでしょうか?

さて、今日も我家の御曹司・小皇帝くんの話です。
三歳という年齢の頃は、こんなものなんでしょうが、彼は現在、思った事、感じた事はすぐに口から吐き出されます。周りへの気遣いなど皆無に等しい状態です。

そのため先日、お散歩で秘密公園に向かって歩いていると、犬を相手におばさん二人が立ち話をしている場面に出くわし、それを見た小皇帝くん「変なおばさんだねー!」と奥様に大声で言ったそうです。奥様、そのおばさん達の方を必死に振り向かず足を速めて公園に向かったと言ってました。

また僕と近所のコンビニへ出掛けた時には、信号を待っていたら大きな犬を散歩で連れてきた人がいました。「お、大きな犬だね~見ておいで!」と犬のほうに彼を向かわせましたところ飼い主に何やら言葉を掛けています。そうして小皇帝くんよりも先に僕の前まで来た飼い主が、苦笑いをしながら通過していきました。
戻ってきた彼の口から出てきた言葉は、「あの犬、ウンチ臭せ~!」・・・・子供は正直と昔から言いますが、これで良いのでしょうか?

こんな調子の小皇帝くんですから、頭に浮かんだメロディーは常に口ずさんでいます。
「♪ヤーヤー僕はトミカだよ~  君を乗せて走るんだ~」という歌を以前はよく唄ってましたが、これは最近2006年ヴァージョンに代わり「♪トミカ・トミカ・プラレール トミカ・トミカ・プラレール 乗り物 GO! GO! パラダイス」になったのですが、一度「♪トミカ トミカ・・・」と唄い出したかと思うと、「あ、違った」と言って、「♪僕の大好きな乗り物 トミカ トミカ~」と曲の最初から唄い直します。

こういう子供の歌を口ずさんでいるのは、何でもない普通の子供の日常として見られるのですが、最近彼の頭の中を襲う確立が高いのが↓

cult grass stars cult grass stars

アーティスト:Thee michelle gun elephant
販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント
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「世界の終わり」(→YouTube)・・・凄い適当な歌詞で唄っているのですが、サビの部分がお好きなようで一日中唄ってます。
ミニカー遊びの時も、車の助手席に座っている間も・・・かなり、やかましいです。実際。

そして昨日は、午前中に近くの幼稚園の未就園児クラスの教室受付があり、申し込みに行ってきたのですが、帰り道にずっと「♪パパパ パーパー パーパーパー」と聞き覚えのあるメロディーを唄っています。
「まさか・・・」と思ったので、僕が「それってさぁ?」とメロディーを口ずさんでみたら、その曲だというのです。いつの間に、こいつ・・・って感じでした。
その曲は↓

サムシング・エルス+8 サムシング・エルス+8

アーティスト:ザ・キンクス
販売元:BMG JAPAN
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THE KINKS、1967年発表5枚目のアルバムの曲でした。
「Waterloo Sunset」(→必見YouTube)を唄っていたら、かなりビビリますが幸い病状はそこまで酷くありませんで、「David Watts」を唄っておりました。
覚え易いメロディーで、軽快なリズムがお気に召したのでようが、特に最近KINKSを聞いた覚えもないので、車のBGM用にオムニバスで編集したMDに入っていたのを聞いて気に入っていたようです。

この「David Watts」、僕の最初の出会いはKINKSではなく、ポール・ウエラー若干19歳の頃の作品THE JAM『All Mod Cons』でありました。(→YouTube

All Mod Cons All Mod Cons

アーティスト:The Jam
販売元:Polygram International
発売日:2004/08/09
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KINKSの「the singles collection」のライナーノーツにも、デビッド・ワッツに関しては、「最初はアルバム「サムシング・エルス」の収録曲のひとつに過ぎなかった。しかし、70年代の終りにザ・ジャムがカヴァーしたことから、この曲の遊び心あふれた魅力が大きな脚光を浴びることとなったのである。」と記されている。

そこで家に帰り、小皇帝くんにKINKSとTHE JAMを聞き比べてもらいました。
「どっちが好き?」で、彼が選んだのは本家・THE KINKSでした!
どうやらこいつ、只のパンク好きでもなさそうです。

LOVE SONGS LOVE SONGS

アーティスト:竹内まりや
販売元:BMG JAPAN
発売日:1997/06/04
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早いもので今日から9月。SEPTEMBERというタイトルの曲や、9月を背景にした曲は沢山あるけど、1979年、まだアイドル的な活動をしていた頃のマリヤさんの「SEPTEMBER」をトップに挙げたい。スリムなルックスに慶應の英文科、僕ら世代の憧れのお姉さまだが、今でもかわらぬ可愛らしさが凄い、自分の妻がこうだったらと思う世の男性は多いだろうな。

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2006年7月18日 (火)

後楽園球場

生まれて初めて見たプロ野球の試合は、巨人vs広島の試合だった。Joe
何年の何月何日のことかは、全く覚えていないが小学生のまだ低学年だったのではないかと記憶している。
先発のピッチャーは、城之内と安仁屋。エース同士の戦いを1塁側の内野スタンドから見た。
ゲームは5回頃に、もの凄い雨が降り出しノーゲーム。
水捌けが最悪だった球場で、通路は僕の膝よりも高い位置まで雨水で溢れた。

場所は現在の東京ドームの直ぐ横、東京ドーム・ホテルが建つ辺りにあった。1987年のシーズンオフ、ジャイアンツのファン感謝デーまで使っていたというが、もう既に20年が経過したのだから、若い人の中には、物心ついた時から、ジャイアンツの試合は屋根の下でやっていたって人がいてもおかしくはないのだな。

プロ野球、都市対抗野球など様々な名勝負やら迷勝負が生まれた球場で、1959年の有名な天覧試合はここで行なわれているし、王さんのメモリアルなホームランの多くがここで記録されている。

僕が特に印象に残っているのは、1978年スワローズが広岡監督を擁し、初めて挑んだ日本シリーズ、相手は阪急ブレーブス。
本来は神宮球場で行なうはずの試合を東京六大学野球との兼ね合いで、スワローズ主催の試合は後楽園球場で行なわれた。
1978年10月22日決戦の第7戦、1-0でスワローズのリードで迎えた6回裏、1死、大杉勝男選手が足立光宏投手から放った打球は左翼ポール際への大飛球となり、スタンドIN。レフト線審の手がグルグルと回ったが、阪急の上田利治監督が「ファウル」を主張して猛抗議に出る。レフトスタンド近くまで行っての猛抗議は何と1時間19分にも及び、ゲームの再開にコミッショナーまでが説得にあたった。
判定は覆らず、大杉の本塁打は認められたが、疑惑が生まれたことで後味の悪さが残った大杉は、8回裏に回ってきた次の打席で山田久志から今度は文句のつけようのない豪快なホームランをレフトスタンドへ放った。
「男だな」と思ったものである。

19780404 僕が中学生になる頃には、野球場としての役割のほかに、コンサート会場としての役割も持つようになる。
先日も紹介したが、グランド・ファンク・レイルロードの初来日コンサートは、1971年7月17日、35年前の昨日である。
このほかにも外タレでは、72年にエマーソン・レイク・アンド・パーマーとフリー、82年にサイモン&ガーファンクル、87年にマイケル・ジャクソンやマドンナなどビッグ・アーティストのコンサートが行なわれているし、75年に行なわれた『第1回ワールド・ロック・フェスティバル』には、ニューヨークドールズ、ジェフ・ベックなどとともにクリエイション、四人囃子、カルメン・マキ&OZ、イエロー、ジョー(山中)など当時の日本のロックの兵が素晴しいパフォーマンスを見せてくれた。

今でこそ日本のロック・バンドも東京ドームでコンサートをやったりしているが、後楽園球場の時代に日本人ロッカーが単独でコンサートをやったのは、矢沢永吉さんしか記憶にない。(余談だが、矢沢さんの後楽園の日に、日本武道館ではCharさんがゴダイゴを引き連れコンサートをやっていて、僕はそちらを見に行っていた)
他は全て歌謡界の方々が名前を連ねる、西城秀樹さんやピンクレディーだ。

416757101309_1 昨夜はTVでそのなかのひとつ、キャンディーズの後楽園球場での「解散コンサート」の映像を見た。1978年4月4日のコンサート風景だが、人気アイドル・グループの人気絶頂での解散ということの熱気が伝わる映像なので、見ていたときには感じなかったが、4月の野外コンサートで、あのミニスカート姿では寒かっただろうなと思う。
僕が高校を卒業した年の出来事だが、当時の僕は歌謡曲を凄くバカにしていたので、TV中継とかされたらしいが、見ていないのだろう、少しも記憶に残っていない。
ついでだから紹介するが、キャンディーズの時代を知るのに、面白い本がある。
ナベプロ帝国の興亡』(軍司貞則さん著)、渡辺プロダクションの成功と衰退が描かれているが、キャンディーズの解散に纏わる話も興味深い話です。

後楽園球場の周りには、バッティングマシンや的あてゲームのようなところがあり、野球を見に行くばかりじゃない楽しさがあった。楽天野球団が目指している球場の姿の原点は、何も大リーグなどをお手本にするまでもなく、後楽園球場にあった“昭和”の姿、野球が楽しかった最高の娯楽だったところに存在するのではと考えた。

〈COLEZO!〉スペクトラム伝説 〈COLEZO!〉スペクトラム伝説

アーティスト:スペクトラム,スペクトラム
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2005/03/09
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キャンディーズのバックを務めていた新田一郎さん率いるMMPが母体となって誕生した“スペクトラム”。派手な衣装に、ギターやベースをトランペットと一緒に回すパフォーマンス、当時では珍しかったB.Cリッチのギター、ベース。話題は色々あったが、ビッグXのようなヘルメットを被った西慎嗣の真の姿ではない。彼のブルースを聴きたい。

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2006年7月17日 (月)

タクシーでの会話

昨日の午後は、つまらないことで癇癪を起こし、無駄な時間を過してしまった。
時間を無駄に過すあいだも原因となった相手は、こちらがどんなに辛い気持ちでいるのかを察していないのか何度もメールや電話をよこす。これが尚更火に油を注いでくれる。

それで気を紛らわすために、昨日の『観戦中』となったわけだが、実に無駄な時間だ。悔しい!今日は充実した一日を送りたい。

昨日はJT球場での野球観戦のあと、一度自宅に戻りバスで街の中心地に向かった。馴染みの酒場に顔を出し、黒ホッピーを数杯頂き、お決まりのコースのNOODLE’s BARでらーめん。昨夜はこの時点で21:00と早かったが、何か苛々して一日を過したせいか非常に疲れていた。なので普段ならばバス停に向かう体が、県民会館の前で客待ちをしていたタクシーに乗り込んだ。

数台のタクシーがいたが、「あの会社は保険に入ってないから乗っていて事故に遭うと大変よ!」と以前、焼肉屋のおばちゃんから聞いていた会社のタクシーは敬遠して、個人タクシーに乗り込んだ。

個人タクシーというと多くは大ベテランのドライバーで、時々「この人に運転させても大丈夫なの?」っていうご老人もいて敬遠する人もいますが、無保険のタクシー乗るよりも遥かにOK!
で乗ってみたら、昨夜の運転手さんはお若い。と言ったって僕と同じか少し上ですが、個人タクシーのドライバーさんとしては、かなり若手の方だった。

道中「雨がよく降る」とか、「楽天は今日も負けた」とかの会話だったのですが、ある静寂の瞬間に気がついた。車中に流れる音楽は、ラジオからのものではなくCDなのか、テープなのか(はたまたHDかもしれないが)とにかく、運転手さんの趣味で流している音楽素材なのだが、聴き覚えのある声。

JALANの風 JALANの風

アーティスト:あんべ光俊
販売元:インディペンデントレーベル
発売日:2000/09/06
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「あんべ光俊さんですか?」そうしたら運転手さん、喜んだ!
「お客さん、あんべさんわかります?」
まぁはっきり言って、大先輩ではありますが、それほどヒット曲があるわけでもないですし、ご本人の楽曲よりもオフコースの「一億の夜を越えて」の作詞などのほうでの認知度が高かったりもする方なので、ご自分が好きで運転中に掛けているのを指摘されるなんて、そんなにあることではないのでしょう。だからなのか、物凄い喜びようです。
それまでルームミラー越しに会話をしていたのが、信号に止まる度に振り返って会話を始めたほどです。

現在は活動の拠点を仙台に移したあんべさんですが、デビュー後は東京でご活躍でした。今から20年ほど前に、あんべさんブルース・スプリングスティーンにリスペクトされた時期があり、それをかなり意識して『スティールタウン』という故郷・釜石を歌った曲を看板にしたアルバムがありました。
そのアルバムの時のツアーを、当時舞台監督の玉子だった僕が担当させて頂きました。まだ知識も浅い頃だったので、P.Aや照明の先輩方に教えてもらい、毎日あんべさんにも迷惑をかけてしまったツアーなのですが、今の自分があるのもそんな経験の積み重ねと思い、大切に心に仕舞ってあります。

運転手さんに「僅かな時間なのですが、20年ほど前にお仕事させて頂いたことがあるんです」と話しましたら、「わたし、あんべさんの後援会をやっていて、つい先日も一緒に飲みに行ったのですよ~」と運転手さん。
「最近の作品は聞いてませんが、『遠野物語』はカラオケで歌ってしまうくらい好きですよ」とか「NSPのコンサートに『行く、行く』って言いながら来ないから会えなかったです」なんて話たら、あんべさんの天野滋さんへの追悼歌をかけてくださったりしました。

「今度あんべさんの会合あるときには、来て下さい。よかったら名刺を・・・」ってことで、お互いの名刺交換をして車を降りました。
勿論、料金も払いましたよ。

何だか苛々した一日でしたが、最後はこんな出会いがあり楽しい気持ちで床に就くことが出来ました。

ボーン・イン・ザ・U.S.A.(紙ジャケット仕様) ボーン・イン・ザ・U.S.A.(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ブルース・スプリングスティーン
販売元:Sony Music Direct
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代々木の体育館に見に行った来日公演は、当時、銀座天一本店の上にあったレコーディング・スタジオから数日振りに開放された体で行ったので、クラクラしながら見ていた。おまけに休憩付きとはいえ3時間を越えるコンサート。途中でバンド・メンバーが脱ぎ捨てた衣装が舞台サイドの照明に乗っかるのをスタッフが気がつかなかった。僕の周りでは「ヤバいよ、ヤバいよ」と皆言っていて、やがて煙が上がりはじめて、ようやくスタッフが気がついた。多分衣装はお釈迦。そんなことの方がよく覚えている、僕にとっては過酷なライブだった。

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2006年7月16日 (日)

ピアノ

僕が仕事でホールなどに入る場合、機材の殆どは持ち込みでやる場合が多い。ホールなどの備品を使う率が一番高いのは照明だろう。バンド台を鉄骨などで製作せずにホールの平台・箱足と呼ばれるもので作ることも多い。

楽器に関しては、そもそもホールにはないことが普通なので持ち込むことになるが、ピアノだけは、ほぼ100%ホールのものを借りることになる。
僕が一緒にツアーを回るプレイヤーは「スタンウェイ」のピアノを好むケースが多いですが、全国を廻っていますと様々なホールがあり、普段は何かの講習会などの使用ばかりで、ピアノを使うのはピアノの発表会ばかり、その際もヤマハのピアノを使うことが多く、「ピアノ庫にスタンウェイもありますけど、あまり使われていませんから・・・」と敬遠することを勧めるホール担当者がいたり、「クラシック以外の方には、スタンウェイの貸出はお断りしています」なんて何もわかっていない担当者がいたりします。
使われていないスタンウェイを使うくらいなら、メンテナンスの行き届いたヤマハの方がよっぽどマシな場合が多いので、その場合にはヤマハを使わせてもらいます。

ある仕事では、プレイヤーのスタンウェイに対する拘りがもの凄く、ツアーを廻る全ての会場でスタンウェイを用意して欲しいとオーダーを受けました。それも状態の良い。

ホールによってはベーゼンドルファーというオーストリア人を置く場合もあります。スタンウェイを用意するホールに比べると少ないですが、ピアノの人気を二分する名機です。ただスタンウェイの煌びやかな音に比べると重厚な音が売りで、そのためクラシックの方の支持が圧倒です。
僕のようなロック畑で活動する人向きではありません。

そこで、そのツアーは思い切ってスタンウェイを持ち歩くことにしました。
ピアノをツアーで持ち歩くって、少し憧れな部分があったりするんです。
TMネットワークのエキスポ・ピアノや坂本龍一さんのMIDIピアノのように特殊なデザインや機能を持つ場合には、持ち歩かなければなりませんが、その場合にはメーカーの全面的なバックアップもありますし、その時の僕のケースとは違います。

ピアノをツアーで持ち歩くというと、真っ先に思い出すのが、JOURNEYの全盛期です。僕が彼らに出会った1982年のツアーでは、ホールにあったものを使っていましたが、翌年の83年フロンティアーズのツアーでの来日時には赤いピアノを持ってきていました。
この83年のツアーは「JOURNEY AMERICAN TOUR ’83」というタイトルで映像が売られていました。
ロック・コンサート・スタッフのバイブルと呼んでも良い、このツアーのビデオは、コンサートのライブシーンばかりではなく、コンサートの仕込作業や様々なポジションの作業風景、スタッフのインタビューなどが盛り込まれています。
この映像作品のなかにも、JOURNEYのある種のトレードマークだった赤いピアノが登場しているわけですが、巨大なグランド・ピアノが横にされ、足とペダルを外され、フライト・ケースに収まる様が映し出されます。
そしてピアノが入ったフライト・ケースの蓋には「WHALE」(鯨)とスプレーされているのです。
なんて格好良いのでしょう!憧れました。

そんな憧れがあるピアノの持ち回りですから、作業を面倒臭いなどと思ったことはありません。むしろ楽しいくらいです。
ピアノの搬入作業や、バンド台の上に乗せる作業などは、各スタッフのポジションなど関係なく「おーい!ピアノ運ぶから集合!」って声を掛けると皆が集まってきます。

そんな旅のある日、P.Aのスタッフ達がピアノの前で「ひでーことするよな~」と会話しているのです。何のことやら?
何かトラブルがあるならば、立場上僕のところに報告がくる筈ですが、スタッフ達にそんな動きはありません。でも、ピアノの様子がおかしいのは確かなようなので、行ってみました。
そうすると、ピアノの鍵盤の上のメーカー名が記された板に穴が開いているのです。そして、よく見るとそれはスタンウェイのピアノではなく、ヤマハのMIDIグランドからMIDI関係の基盤が抜かれたピアノなのです。

どういうことでしょう?前回の公演終了後にピアノが入れ替わってしまったようです。不幸中の幸いというか、その日は仕込作業だけをする日で、本番まではまだ3日ありました。
他のスタッフは皆忙しいというので、僕がトラックに乗りピアノを取りに行くと言い出し、準備を進めました。

・・・今朝はここで目が覚めた。
夢をみていました。結構リアルな映像だったのですが、ツアーをよく一緒に回る人と、仙台で一緒に仕事してる人と出演者がぐちゃぐちゃで、やっぱり夢って感じでした。
ビックリした~!

どなたか夢占いが出来る方がいたら、占ってください。
「サマージャンボが当たります」とかじゃないでしょうか?

Frontiers Frontiers

アーティスト:Journey
販売元:Columbia
発売日:1996/10/15
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ジャーニーのチームワークが最高のピークに達している時代の『フロンティアーズ』。ツアーに出掛けて恋人に会えない淋しさを歌った「Faithfully」のピアノが印象的だ。そういえばバンドやスタッフが所属した、マネージャーのハービー・ハーバートの夢を結集した事務所の名前は“Nightmare”だった。

夢、夢のあと 夢、夢のあと

アーティスト:ジャーニー
販売元:Sony Music Direct
発売日:2004/05/19
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夢とJOURNEYで忘れちゃいけないのが、この作品。1981年1月に公開された高田賢三さん監督の同名映画のサントラで、全て信濃町のソニースタジオでレコーディングされている。音的には初期のプレグレ志向全開。

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2006年7月 3日 (月)

TAKE OFF

TAKE OFF 離陸(紙ジャケット仕様) 今日はいきなりチューリップの1974年の作品『TAKE OFF 離陸』のジャケ写からスタートです。チューリップ・ファンのあいだでも、初期の最高傑作との声が高い作品で、アイドルからの脱皮を図ったことが伺える一枚です。名作『青春の影』が収録されていることでも人気ですが、B面(レコード時代でいう)がメドレーになっていて、チューリップ版アビーロードなんて表現も聞こえます。

今日の『TAKE OFF』というテーマ、本当はチューリップが主人公ではありません。
お話はまたも1966年に遡ります。先日「BLACK & BLACK」という記事で話しました、「ビートルズ来日から40年」ですが、日本武道館で5回の公演を終了し、日本をあとにしたのが、今日7月3日であります。
10:43羽田空港から4人を乗せたJALの“KAMAKURA”は次の公演地・フィリピンのマニラへ向けて飛び発ちました。
日本滞在は僅か103時間、くれぐれも外出を控えるようにと言い渡されていた一行は、7月1日午前にポールが皇居前広場を散策、ジョンは原宿のオリエンタル・バザーと麻布材木町(現在の六本木)の美術店で買物をした以外は、ずっと東京ヒルトンホテル(現キャピトル東急ホテル)1005号室のプレジデンシャルスイートで過ごしました。

この部屋には何人かの方が訪れて、ビートルズと束の間の時間を過していますが、加山雄三さんは発売前だったアルバム「リボルバー」を聴かせてもらったそうだ。この時に同行した一人に高島忠夫さんのお兄さんで、当時東芝のビートルズ担当ディレクターだった高島弘之さんもいらっしゃいます。
Iyami ミュージックライフ編集長だった星加ルミ子さんは7月2日の公演前に部屋を訪れたときに「日本のKidsは何が好きなんだ」と聞かれ、漫画「おそ松くん」のシェーを教えたらしいが、あとになってこの時の「Kids」とは、自分達のファンのことを指していたんだなと後悔されていた。そして、ジョンが「世界中に足を運んでも窓から見る景色しか知らない」と言い、「もう解散だ、解散だ」と騒いだらしいが、マネージャーのブライアン・エプスタインから「絶対に書くな!」と厳しく言われた思い出もあるという。

評論家の湯川れい子さん(この方、僕と誕生日が一緒なのだ)はホテル9階に宿泊して、チャンスを伺い最後は「ビートルズが欲しがっている、武道館と日本語で書かれた腕章を手渡す」という口実でプロモーターに泣きつき7月2日夜に訪れたそうだ。あの厳重な警備のなか、よくそんな口実で部屋に入れたものだ。今だったら「あぁ、渡しておくよ」とプロモーターが預かってお終いだろう。

来日翌日の30日に招聘をした永島達司さんは、鎌倉~箱根へのドライブを計画していたらしいが「ビートルズを外に出すことまかりならぬ。もしそれに従わねば警備に責任を負わない」と警視庁からお達しを受け、中止せざるをえなかったようだ。
7月1日の都議会で、ある議員が「税金の無駄遣いだ。本来、警備というのは主催者側がやるべきものではないか。それを警視庁が代行するということは、大資本への従属ではないか。結果的に警視庁が主催者の片棒をかついだものであり、また神経過敏になりすぎた大袈裟な警備が、逆に狂乱状態をあおることになったのだ」と語ったそうだが、こんなにまともな意見が取り上げて“ビートルズ来日顛末記”のようなものに残るほど、日本は未成熟だったということだろう。

公演場所である日本武道館は、いまでは海外のアーティストも目標に置く日本の代表的なコンサート会場であるが、元々は東京オリンピックの際に建設された競技場である。
ビートルズのコンサートを開催すると決まった時には、右翼団体から「神聖なる場所で、外国人のコンサートなどやらせるな」という声が上がり(これは事実)、当時の日本武道館会長が激怒したという噂があるが、僕が若い頃に非常にお世話になり、本年5月5日に他界された故・村上元一さんから「オリンピックが終わって、武道だけやっていたんじゃ館の維持が出来ないと言うので、『じゃぁコンサートをやれ』と言ってやったんだ」と聞いたことがありました。この話は「武道館、武道館というけれど、規制が色々あって思うようには演出が出来ないのですよ」と泣きごとを言った時に「最初